2020年06月13日

toujyouka016.jpg イデオロギーと生活感の欠如

6月1日エントリの続き。

選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
なぜゆえ結婚改姓の問題を
「共産主義のドグマ」といったイデオロギーで
理解しようとするのかと思います。

「選択的夫婦別姓と共産主義イデオロギー」

 


選択的夫婦別姓の実現を求めるのは、
結婚改姓の不便に直面するからであり、
それは自分の生活と尊厳のためです。
イデオロギーなんてまったく関係ないです。



これは前にもお話したことがあります。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は
生活感が決定的に欠如しているのではないか
と思われるということです。

「夫婦別姓反対派・生活感の欠如」

彼ら反対派(非共存派)は、恋愛とか結婚とか
家族とか育児といったことには、
おおよそ無縁ではないのか?というレベルです。



とりわけ選択的夫婦別姓の反対派に
生活感が欠如しているとわたしが思うことは、
「自分が改姓したくないなら
結婚相手に改姓させればいい」と、
平然と言えることです。

「妻に改姓させればよかった?」

結婚相手というのは多大な愛情と
信頼が求められると思います。
その結婚相手に「自分がしたくないことを
押し付ける」という愛情と信頼を
決定的に突き崩すことを要求できるという
メンタリティが、わたしには不可解です。

愛情とか信頼も選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)はほとんど無縁であり、
それくらい生活感がないということかもしれないです。


反対派(非共存派)はこのように
生活感がないから、結婚や家族のことも
観念でしか考えられないのかもしれないです。
それで「夫婦別姓は共産主義のドグマ」なんて、
イデオロギーで選択的夫婦別姓問題を
理解しようとするのだと思います。

あるいは彼ら反対派はふだんから
イデオロギーのお題目にしか興味を持たないから、
恋愛や結婚のことも自分に理解できる
イデオロギーで考えようとするのでしょう。
そして現実から乖離して生活感がなくなる、
ということかもしれないです。

生活感がないからイデオロギーに関心を持つのか、
イデオロギーにしか関心がないから
生活感がなくなるのか、このあたりは
「にわとりと卵」で、どちらが原因で
どちらが結果ともつかないかもしれないです。


posted by たんぽぽ at 19:02 | Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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