アベマプライムに出演した反対派の
八木秀次氏と宇佐美典也氏は、
ふたりとも「現在の戸籍制度がこうだから
選択的夫婦別姓は認められない」という
趣旨の主張をしています。
「現状のまま導入すれば膨大な労力が?「選択的夫婦別姓」を阻む日本の戸籍制度の課題とは」
「現行の戸籍制度では、一つの戸籍に記載されている者は
同じ姓、氏を名乗る一戸籍一氏制を取っている。
結婚した際には親の戸籍を出て、
夫婦で新しい戸籍を作ることになっているが、
その際には戸籍の筆頭者を決め、
その姓、氏を家族の呼称、呼び名し、
生まれた子どももその姓を名乗る。
選択制であれ、これを別にしてしまうと、
制度としてファミリーネームが廃止され、
1つの戸籍の中に2つの氏が存在することになってしまう。
そうなると、財産関係の手続きにも響いてくる。
過去の記載の転記を間違えると、
かつての年金記録問題のように大変な問題になってしまう。
結婚とは法律上、同じ姓の一つの
家族として戸籍に入るということだ。
そして、家族は一世代のものではなく、
受け継がれていくものだ。
その前提で全ての制度と紐づいているので、
ひっくり返してしまうと家計や遺産など、
制度改正が大きくなりすぎてしまう。
彼らはふたりは戸籍制度の都合で
人間がいると主張していることになります。
本来は人間のために戸籍などの
制度が存在するはずです。
ふたりの反対派の考えが本末転倒なことは、
番組でも乙武洋匡氏が指摘していました。
作家の乙武洋匡氏も「制度のために僕らが
生きているのか、僕らのために制度があるのか。
“制度が合わなくなってきていから変えませんか”
という話をしているのに、“こういう制度に
なっているから我慢してください”と言うのは
違う気がする」と疑問を投げかける。
これはよい点を指摘したと思います。
この線に沿ってもっと攻めても
よかったのではないかとも思います。
戸籍をふくめたさまざまな制度は、
人間がよりよい暮らしをするために
作り出された人間の「被造物」です。
目的は人間で、戸籍のような「被造物」は
人間が生きていくための「手段」です。
その「手段」が人間の都合に合わなくなったら、
人間が使いやすいように「手段」を
作り変えることが当然となります。
八木秀次氏と宇佐美典也氏が考えるような
「戸籍がこうなっているから
人間はその都合に合わせろ」というのは、
戸籍という「手段」の都合で
人間が存在しろということになります。
人間の「被造物」でありながら目的となり
人間をその手段にしているということです。
「創造主」である人間への「反逆」です。