選択的夫婦別姓について解説する動画を観ると、
反対する男性の「正体」のほかにも、
いくつか特筆したい指摘があります。
結婚する【96%】の女性が苗字を男性のものに変えている「強制的夫婦同姓」制度。
— 須藤エミニフェミニストVtuber (@suto_emini) July 26, 2020
女性が参政権を得るよりも前にできたこの制度を温存したいのはどういう人なのか?
考えた事、まとめた事を話します。
【選択的夫婦別姓】ショート版#須藤エミニ
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動画では、日本で夫婦同姓の強制を
民法で定めたのは1898年(明治31年)である、
ということを指摘しています。
このあたりのことは、たいていのかたが
指摘することだと思います。
「日本で夫婦同姓になった起源」
(動画中では1896年と表記されている。
これはおそらく間違えたのでしょう。
元号の明治31年は正しい。)
さらに動画では、女性が選挙権を
得てからの最初の選挙が
1946年であることへの言及があります。
(戦後の最初の衆院選。)
夫婦同姓の強制は女性に選挙権がなかった時代に
定められたということです。
夫婦同姓の強制は女性の意思を無視した、
男性の都合だけで定められた
ということがはっきり言えるわけです。
あまり言われないことだと思いますが、
これは重要なことだと思います。
戦後のGHQによる戦後改革で、
戦前の民法は改正されることになります。
このとき夫婦同姓の強制を定める
モチベーションとなった
イエ制度は廃止されますが、
夫婦同姓の強制は残ることになります。
戦後民法が制定されたのは1947年12月、
施行されたのは1948年1月です。
よって戦後民法の制定と施行は
女性が選挙権を持ってから
最初の選挙よりは、あとになります。
それでも女性の当選者の割合は、
1946年の衆院選は10%もなく、
1947年の参院選は5%もないです。
国政で影響を発揮するにはあまりにふじゅうぶんです。
「衆院選・女性当選者の割合」
「女性当選者・過去最高」
また民法改正は女性が参加した最初の
選挙から2年も経過していないですから、
政府・政権のいたるところで
男性中心の体質が残っています。
当時の女性たちは民法改正に対して
ほとんど影響力を示せなかったことは
言うまでもないことだと思います。
付記:
次の記事に、戦後の民法改正において、
当時の日本の女性たちは、
連合国最高司令官(SCAP)を通してでしか、
自身の意見を反映させることが
できなかった様子が示されています。
「アメリカの対日占領政策における民法改正 ― 女性の法的地位をめぐって―」