夫婦同姓の強制は世界中で日本しかない、
という現実が問題になるのはなぜかについて、
だいぶ前にお話したことがあります。
それは差別をなくし人権水準を向上させることが、
現代の国際社会のコンセンサスだからです。
「夫婦別姓・外国を参照する意味」
もうひとつ外国の事例を参照する理由として、
人権侵害をなくすという国際社会のコンセンサスを守る義務が
国際社会の一員としてある、ということがあると思います。
この地球上から人権侵害をなくし、
世界全体の人権水準を向上させるべく努めるのは、
現在の国際社会において、すべての国の成員が
守らなければならない責務となっています。
そのために国際連合やさまざまな国際機関が存在し、
自由権規約、社会権規約や、女子差別撤廃条約、
子どもの権利条約といった、人権に関係する各種条約を制定し、
条約を守って人権水準を向上させるよう、
批准国に義務付けるようになっています。
「CEDAW日本審査・民法改正」
「CEDAW日本審査・民法改正(2)」
他国がすでに改善している人権問題を
日本だけ放置していれば、日本は国際社会のコンセンサスに
反して義務を履行していないことになります。
この観点からも国際社会の人権水準をつねに
意識する必要があり、そのためには他国の事情を
把握する必要があることになります。
夫婦同姓の強制はあきらかな差別です。
そして選択的夫婦別姓が実現することによって
この差別は解消され、人権水準の向上を
もたらすことになります。
そうであれば日本は早急に選択的夫婦別姓を
導入することで、差別解消と人権水準の
向上をはかる責務が、国際社会の一員として
あるということになります。
「日本は日本だ」などと言って、
かかる国際社会の一員としての責務から
背を向けることなど、許されないことです。
日本が選択的夫婦別姓が実現しない
世界唯一の国であるということは、
諸外国はとっくに解決して解消した差別を
日本だけはいまだに解消していない、
ということになります。
それは国際社会の中においては、
差別撤廃と人権水準の向上の観点から、
日本は取り残されていることになります。
それは深刻な問題にほかならないです。
「日本は夫婦同姓を強制する唯一の国」を
男女共同参画計画で言及するのも、
当然ということになるし、積極的に言及する
必要さえあることだと言えます。
差別されないこと、基本的人権を
保証されることは、世界中の人類すべてが、
等しく享受されることです。
「日本は日本だ」などと言って人権侵害を
放置することは、「おまえは日本に生まれた
日本人だから人権侵害を受けてもよい」と
いうことを意味します。
たまたま生まれた国によって
人権侵害が肯定されてよいことなどありません。
これが「日本は日本だ」と言って、
選択的夫婦別姓に反対することが
間違っている最大のゆえんだと思います。