選択的夫婦別姓について男性だけで
議論することを、なぜ「ニュートラル」と
下村博文は考えるのか、その理由について
次のツイートで述べられています。
男性中心社会が問われているのに、古色蒼然たる「高みの見物」しぐさ。自民党は強制的夫婦同姓廃止の問題を「別姓派と同姓派の女の戦い」とでも思っているのだろう。 / “選択的夫婦別姓、自民が男性のみで論点整理へ「ニュートラルな方に幹部になってもらった」と下村政調…” https://t.co/7nf1SO6HVE
— akupiyo🙋 (@akupiyocco) March 10, 2021
学生時代に学寮(男子寮200人、女性寮30人)の自治会役員を決めるとき、「女子寮生が役員になるのは全寮的な視野に欠ける」といわれたことを、30年以上経った今なお思い出す。
— akupiyo🙋 (@akupiyocco) March 10, 2021
「男性は普遍、女性は特殊」のバイアス。 https://t.co/yB4qQHZl1K
例の自民党の「ニュートラル」概念の検討がいろいろなされているわけだけど、内在的に考えてこの下世話な理解が妥当だと思う。
— akupiyo🙋 (@akupiyocco) March 11, 2021
結婚改姓は彼らにとっては女の問題。だから自分たちは「ニュートラル」。 https://t.co/yB4qQHZl1K
それは下村博文は、選択的夫婦別姓を
「女の問題」「別姓派と同姓派の女どうしの闘い」と
認識しているのではないか、ということです。
下村博文たち男性は、かかる「女の問題」に対して
「高みの見物」をする立場のつもりなのでしょう。
だから中立だと思っているということです。
この分析は妥当だとわたしも思います。
ワーキングチームの趣旨がそもそも
選択的夫婦別姓の「論点の整理」であって、
「是非について結論を出す」ではないです。
「高みの見物」の立場の発想だと思います。
さらにツイートでは、下村博文は
「男性は普遍、女性は特殊」という
認識にもとづいているとも指摘しています。
彼ら男性は「普遍」だから、そのアプローチは
ニュートラルになるということです。
「男性は普遍、女性は特殊」なんて、
まさしく「男性中心的」な認識です。
そんな認識をする下村博文たちこそ、
バイアスが強くかかっているというものです。