5月3日エントリの続き。
「ネトウヨ」「カイカク」以外にも、
平成時代は反知性主義、イディオクラシーが
あちこちで蔓延したのではないかと思います。
「週刊金曜日」の『買ってはいけない』、
「発掘あるある大辞典」、水からの伝言、
ジェンダーフリーバッシング、
9.11同時テロ自作自演説、
歴史修正主義の台頭、3.11原発事故以来の
原子力関係など、いろいろとありました。
選挙結果が気に入らないと「不正選挙」とか、
「なにがしの陰謀」だとか言い出すのも、
平成時代はおさかんだったと思います。
ネットにかぎったお話ですが、
ユダヤ陰謀論のリチャード・コシミズが
ちょっともてはやされたのも平成時代です。
ネットが多いわたしの見聞が中心になって
恐縮ですが、いまにしてみれば、
平成時代はこのようなにせ科学の批判に、
悩殺されていたようにも思います。
「多様性」の名のもとに、デマや差別、
にせ科学を擁護するという、
「ポパーの寛容のパラドックス」に
まるっきり当てはまることが
横行したのも平成時代です。
議会制民主主義や基本的人権の
正統性を懐疑するのが「賢くて偉い」ことだと
思われたのも平成時代です。
これら反知性的な諸活動は、
「ネトウヨ」「カイカク」と政治的に
相容れないどころか、積極的に批判する人たちの
あいだでも蔓延していました。
反知性主義を批判する人たちは、
べつの反知性主義者だったということです。
平成時代の反知性主義、イディオクラシーの
根の深さのあらわれかもしれないです。