転換を選挙で、という「みらい選挙プロジェクト」の
三春充希氏のノートをご紹介しました。
「「今」を歴史の転換点にしよう」
このノートでは「問題解決能力の欠如」と
「国民生活の軽視」を、「保守の衰退」という
保守の問題として考えています。
「今」を歴史の転換点にしようhttps://t.co/hMDWnkBhIO
— 三春充希(はる)⭐2021衆院選情報部 (@miraisyakai) February 17, 2021
次の衆院選はコロナ対応だけではありません。首相の虚偽答弁や公文書改竄の発覚後はじめての衆院選にもあたるのです。ですからそれは、今まで損なわれてきた社会の在り方や、倫理、道理を前にして、何ができるかが問われることになるはずです。
雇用の非正規化などで、自分たちは
大切にされていないという意識を
多くの国民が抱くようになった、
それによって保守の根底が崩れたと、
このノートでは主張しています。
そして自分たちの無策による、
国民のこうした不満をそらすために、
保守派は排外主義、国粋主義、
歴史修正主義に走るようになったと
ノートでは主張を続けます。
かくして保守派は、人権派やリベラル・左派を
叩くことはあっても、日本社会の衰退を
打開するための議論ができなくなった、
というのがこのノートの概観です。
このような「保守のありかた」を
利用したのが自民党ということになります。
(ここでこのノートははじめて
「自民党」を名指しする。)
そしてまた、こうした保守の在り方は、
自民党によって世論の誘導に利用されてきました。
国内の不満を根本的に解決するのではなく、
それを諸外国の脅威や反感をもって
おさえこみ、正当化する。
そうした役割しか期待されなくなったがために
保守は水準を著しく後退させてしまい、
人権派やリベラルを批判することはあっても、
みずから日本の衰退を打開する主体として
振舞う議論をなしえなくなったのです。
これは伝統的な保守にとっては悲しいことでしょう。
以上は「保守の視点」で見た「失なわれた30年」
ということになるのでしょう。
実際に伝統的な保守のかたが、
「失なわれた30年」に対する自分たちの
問題をこのように考えているのかは、
わたしにはわからないです。
いかんせん情報が入ってこないです。
このような保守は絶対数が少ないと思います。
それに加えて、わたしのような立ち位置では、
彼ら保守と接する機会もほぼないです。
三春充希氏を「伝統的な保守」と
考えてよいとも、あまり思えないです。
主張内容や政治的立ち位置を見るかぎり、
むしろリベラルとか左派に近そうです。
本人に直接訊いたら、「自分は保守でも
リベラルでもない」とか「イデオロギーは
関係ない」とか答えそうです。
リベラル、左派とか野党の支持層から
この三春充希氏のノートのような
「保守論」が出てくることもないようです。
(わたしは聞いたことがないです。)
よってこのノートは、リベラルや左派の
視点による「保守論」でないことは、
たしかだろうと思います。
わたしなりの想像ですが、
三春充希氏のノートで指摘するように
「失なわれた30年」の問題を、自分たちの責任、
自分たちの水準低下として考える
「伝統的保守」はいるのだろうとは思います。
そのような「伝統的保守」のかたは、
大多数の「保守」が問題解決能力の欠如と
国民生活を軽視する現状、そして現実逃避のために
排外・国粋主義に走る実態を
きっとうれいでいるのだろうと思います。