「失なわれた30年」の現実を前にして、
問題解決能力を示せなかった「保守派」たちは、
代わりにどうしたか、三春充希氏は
次の指摘をしています。
「「今」を歴史の転換点にしよう」
「保守派」たちは自己正当化のために、
排外・国粋主義や歴史修正主義に
走ったというものです。
「今」を歴史の転換点にしようhttps://t.co/hMDWnkBhIO
— 三春充希(はる)⭐2021衆院選情報部 (@miraisyakai) February 17, 2021
次の衆院選はコロナ対応だけではありません。首相の虚偽答弁や公文書改竄の発覚後はじめての衆院選にもあたるのです。ですからそれは、今まで損なわれてきた社会の在り方や、倫理、道理を前にして、何ができるかが問われることになるはずです。
諸外国の脅威を煽ったり、中韓への反感を
かき立てたりする、また歴史修正主義に
走って日本の加害を正当化すると
いったことが保守派の主張に欠かせなくなったのは、
保守が理念を失ったことの結果にほかなりません。
豊かさをなくし、保守の理念が
空洞化したからこそ、そのようにしてしか
国を正当化することができなくなったのです。
これは思い当たるかたはたくさんいると思います。
ネットを開けばそこらじゅうに「ネトウヨ」と
言われる人たちに出くわします。
彼ら「ネトウヨ」は、事実や根拠など
ろくにないのに、中国や韓国などに対する
憎悪を振り撒き、「日本はこんなすごい国」と
持ち上げることに余念がないです。
そのような「ネトウヨ」たちは、
選択的夫婦別姓に関心があるかたの視界にも
いやおうなしに入ってきます。
彼らは事実や根拠にもとづかない
妄想を持ち出して、選択的夫婦別姓に
反対の主張を繰り広げます。
慰安婦否定に代表される、歴史修正主義に
傾倒する人たちもたくさんいます。
わたしのブログにも、そのような
慰安婦の否定論を信奉する人たち来て、
コメントしていったのでした。
「ミクシーから発展した慰安婦の議論」
「投稿お断りのお知らせ(2)」
「ネトウヨ」と言われる人たちだけが
こんなだということではないです。
日本の社会全体が、排外・国粋主義や
歴史修正主義に傾倒しているのが現状でしょう。
「ネトウヨ」はそうした日本の社会全体に
蔓延する病理が凝縮されて
発揮されただけとも言えるでしょう。
そんな日本社会に蔓延する、極端で過剰な
ナショナリズムへの現実逃避志向を
利用したのが自民党だというのが、
三春充希氏の記事の指摘です。
そしてまた、こうした保守の在り方は、
自民党によって世論の誘導に利用されてきました。
国内の不満を根本的に解決するのではなく、
それを諸外国の脅威や反感をもっておさえこみ、正当化する。
例えば自民党は、この二、三十年あまり、
愛国心教育の普及に力を入れてきました。
1998年の国旗国歌法の制定と時期を同じくして、
愛国心を道徳教育に組み込むことの
必要性が強調されるようになり、2001年の
「新しい歴史教科書」の検定合格などを経て、
2002年には11府県の一部小学校に愛国心を
評価する項目が取り入れられています。
極端で過剰なナショナリズムが
台頭することは、国力が衰退しているのに
効果的な対策が打てないことの
証明にほかならないということです。
理由は上述のように、国力の衰退に
対して問題解決能力を示せないので
「現実逃避」をするためです。
これは国内の矛盾や不満から
自分が眼をそらすためでもあるし、
他人の眼をそらすためでもあります。
これは歴史の一般的な法則ですが、
ここであらためて確認しておいてよいでしょう。
極端で過剰なナショナリズムに
走った「保守派」は、それでなにも
解決していないことはもちろんです。
それでも「日本はすごい国」と思い込めるので、
一時的に陶酔に浸れることになります。
実際には効果的な解決策から
逃げてなにもしていないゆえに、
国力の衰退はさらに進むことになります。
目先の快楽は得られるけれど、
それでさらにからだがぼろぼろになる、
極端で過剰なナショナリズムは、
「保守派の阿片」かもしれないです。