小林賢太郎氏が23年前のコントで、
ユダヤ人虐殺うんぬんと言ったことについて、
つぎのように釈明しています。
「五輪組織委、解任された小林賢太郎氏の謝罪文を公表
「思うように笑わせることができず、人の気をひこうとしていた時期だった」」
「思うように笑わせることができず、
人の気をひこうとしていた時期だった」と、
小林賢太郎氏は言っています。
ウケねらいで、世界史上最悪の大虐殺を
ねたにしようとする、小林賢太郎氏の
思慮のなさを批判するのは簡単でしょう。
それはここではひとまずおいておきます。
わたしが問題にしたいのは
ウケを取ろうとして必死な芸人が
こう考えるということは、
アンチ・セミティズムでウケが取れる土壌が
日本にあった(ある)ということです。
8月5日エントリでもお話したことです。
これは日本社会の問題として考える
必要もあることだと思います。
「五輪の辞任ラッシュは日本社会の体質」
実際、ここで問題になっている
差別や問題発言は、日本社会においては
まかり通ることであり、容認されがちです。
そんな状況があるから日本を代表する
クリエイターやアーティストも
観客からの需要を意識して差別をねたにするし、
また差別をねたにしても
問題があると思わないのでしょう。
おおかたの日本人には、ユダヤ人問題や
アンチ・セミティズムに関する知識なんて、
たいしてないだろうと思います。
ヒトラー・ナチスによる、
ユダヤ人大量虐殺に関しても
「ナチスはユダヤ人を強制収容所に送り込み
ガス室で虐殺をはかった」なんて
一文で書ける程度というのが、
平均的日本人の知識かもしれないです。
もともと見識がないとあっては、
ヒトラー・ナチスによるユダヤ人虐殺を
揶揄することにさしたる問題意識を
感じなくても、むべなるかなです。
小林賢太郎氏がコントでねたにした
1998年ごろというのは、
日本社会においてはユダヤ人虐殺に対して
「一定の理解が示される」
時期でもあったと思います。
ちょうどネットの黎明期でしたが、
ネットではユダヤ人虐殺に対する
「寛容」な論調がありました。
「ホロコーストはなかった」なんて
歴史修正主義を「容認」することも
「言論の自由」のうちであり「健全」だ、
という主張が、まかり通っていました。
こんな風潮が蔓延していては、
コメディアンがユダヤ人虐殺をウケ狙いの
ねたにしたところで、なんら問題など
感じなくても無理もないというものです。
そして2021年に小林賢太郎氏が、
ユダヤ人虐殺をコントのねたにしたことで、
東京オリンピックの開会式の
ディレクターを解任されたのでした。
これは反ユダヤ主義に「寛容」になる
20世紀末の反知性主義者たちの
思い上がりが、23年ののちに裁かれたとも
言えるのではないかと思います。