日夜成果を発表しているのに、
実社会への影響がとぼしい
という指摘をするツイートです。
いつも不思議に思うのは、日本にも優れた哲学、倫理学、社会学、政治学等の研究者がおり、日々活発な研究や議論、出版も行われているのに、それが実社会に何ら影響を与えないことだ。まるで全く無関係の2つの世界が同じ空間の中に同居しているような奇妙な感覚を覚える。
— 中嶋 哲史 (@J_J_Kant) February 10, 2022
優れた研究者や識者は、世界中
どこの国にもいるだろうと思います。
違いは研究者や識者を取り巻く
社会のポテンシャルだろうと思います。
社会にじゅうぶんなポテンシャルが
あれば、研究者や識者の成果を
適切に理解し受け入れることができて、
実社会の改善や発展に役立てることが
できるのでしょう。
ポテンシャルのない社会だと、
研究者や識者の成果を聞き入れる
力量を持たず、実社会の改善や発展には
役立てられないものと思います。
日本は残念ながら後者だと思います。
平成時代以来の「反知性主義」が
幅を利かせる社会だからです。
研究者や識者の成果なんてもとより軽視し、
背を向けるのがそのやりかたです。
「反知性主義の時代だった平成時代」
「反知性主義の時代だった平成時代(2)」
そうした専門知の軽視や無視を
続けてきた成果のひとつが、
「失なわれた30年」という
「歴史的失策」になるのだと思います。
「反知性主義がもたらした歴史的失策」