安倍晋三元首相が銃で撃たれて
殺されるという惨劇について、
わたしの思うことを少しお話します。
「安倍晋三元首相が死去」
安倍晋三がテロリズムで暗殺される
というのは、日本は民主的な
社会でなくなっていることを
しめしているのではないかと思います。
民主的な社会では正当で公平な
選挙がなされるし、さまざまな政治活動や
社会活動も自由に行なえます。
こうした平和な手続きで社会を
改善しうるので、民主的な社会では
テロリズムは起きにくくなります。
民主的でない社会は、平和な手続きで
社会を変える余地があまりないです。
それゆえ社会を改善するには
ほかに方法がないことになって、
テロリズムが起きやすくなります。
現実の日本には民主的な選挙や
政治制度はあるし、さまざまな
政治活動の自由も認められています。
それでもテロが起きるのは、
こうした民主的な手段が社会を
改善するのに役立っていない
(もしくは役立たないと思われている)、
ということになるでしょう。
日本は諸外国とくらべると、
殺人の発生率は低いです。
日本人はストレスや不満を外に発散させず、
自分の中にためこむからだと言われます。
(だから日本は自殺率が高い)
「殺人より自殺に走る「内向型」日本人は政府にとって都合が良い」
そんな日本でテロが起きたのだから、
よくよくのことだと言わざるをえないです。
日本はもはや民主的なプロセスが
まともに機能しない社会になっている、
これが安倍晋三の暗殺事件が
わたしたちにつきつけた、もっとも
深刻なことではないかと思います。
付記:
安倍晋三のテロによる暗殺事件を
「民主主義に対する挑戦」と
批判する論調が強くなっています。
そうではなく、安倍晋三の暗殺は、
挑戦されるべき民主主義が
すでに損なわれているから起きた
事件なのだろうと思います。
「民主主義に対する挑戦だ」という人がいるけど、僕は民主主義が機能していないから起きた狙撃事件だと思っている。民主主義はあくまで言論による社会運営であり、話し合いが機能せずに暴力に訴える人間がいるということ自体が民主主義の機能不全の表れだと思う。
— kaz hagiwara(萩原 一彦) (@reservologic) July 8, 2022
みんな、今は冷静に、そしてこれから、どんなに時間がかかってもこの国の民主主義をより良く機能させることが出来るように、根本的な部分から見直して、暴力ではなく、論理的や思考に基づいた議論がしっかり機能する社会を是非。
— kaz hagiwara(萩原 一彦) (@reservologic) July 8, 2022