深刻なレベルで政界に入り込むのかについて、
わたしの思うところをお話します。
そこにはカルト教団と日本の政界は、
因襲・反動的な家族観やジェンダー差別を
軸に結びついていることがあります。
「空白の30年がもたらした失なわれた30年」
こうして、社会から批判される中で
強力な後ろ盾が欲しい統一教会と、
バブル崩壊の中で強力な支持基盤がほしい
自民党とで利害が一致することになります。
統一教会と自民党は、因襲・反動的な
家族・ジェンダー観を共有することで、
イデオロギー的に結びつくことになります。
かくして平成時代の自民党はかたくなに
因襲・反動的な家族・ジェンダー政策を
標榜することになります。
「家族・ジェンダー問題に言及があった」
関わりを続ける背景には、教団の主張を
浸透させる意図があったとみられます。
そのひとつにあるのが「家庭観」です。
鴨野事務局長は、LGBTQと呼ばれる
性的少数者への考えを例に挙げ、
結婚して子どもを持ち、女性が家を守る
伝統的な家庭像を重要視する
教団の考えを語りました。
富山大学 斉藤正美非常勤講師
「内容たるや、男女共同参画じゃないんですよ。
“統一教会”の考えがしっかり入っているな
と思ったのは、ひとつは生活が苦しくても
専業主婦、女の人は専業主婦でいて、
家でしっかり子どもを育てるっていうか、
面倒を見る、それが立派な仕事です、
主婦の、仕事ですみたいなことが入っている。
これは因襲・反動的な家族観や
ジェンダー差別が、それだけ根強く
日本社会に浸透していることを、
示していることになります。
日本は高度経済成長期に浸透した
「家族のありかた」に対する信仰が強く
「宗教の代わり」になっていると言えます。
「信仰としての家族思想」
カースト制度も宗教制度もない国なのに、
家庭についてはいまなお、これほどまでに保守的なんです。
日本人は無宗教だといわれていますが、
実際は「家族教」を信仰する国といえるでしょう。
母性神話をあがめる宗教ですね。
「宗教の代わりとしての家族」
--日本にも根づくでしょうか。
「日本人は宗教意識が低いかわりに、
伝統的な価値観に依拠しようという人が
多いのではないか。“家族”という言葉に弱い。
それゆえ欧米の民主主義国とくらべて、
日本においては家族に関して、
因襲・反動的な社会通念が
ずっと幅を利かせることになります。
おそらく本物の宗教であるカトリックの
影響が強く、因襲・反動的な家族観が
蔓延しているイタリアよりも、
日本は根深いのではないかと思います。
日本は「オンナコドモのことは
くだらない」という政治的ミソジニーが
蔓延している社会でもあります。
それゆえ「反フェミ」「ミソジニー」の
人たちが、ジェンダー差別的な言動を
展開しても、「どうせオンナコドモの
ことだから」と積極的に対処せず
黙認や放置をする傾向があります。
「日本会議・ミソジニーの本質(3)」
「日本会議・ミソジニーの本質(4)」
「歴史的失策を支える政治的ミソジニー」
実はこれら以上に「一般社会」が
「平成30年の歴史的失策」を黙認する、
もっと大きな原因となっている
体質があるのではないかと思います。
「オンナコドモのことはくだらない」という
「政治的ミソジニー」です。
少子高齢化で将来が危機的だと言われても、
必要な施策は家族・ジェンダー政策です。
そんな「オンナコドモのこと」など
興味なんてわかないし、まじめに考える
気はしないということです。
「歴史的失策」を引き起こした張本人は、
家族・ジェンダーに因襲・反動的な人たちで、
「オンナコドモは黙っていろ」の人たちです。
「くだらない」の人たちが無視や黙認をすることで、
「黙っていろ」の人たちがやりやすくなる構図は、
ここにも存在することになります。
かくして「オンナコドモはだまっていろ」の
人たちは野放しにされ、彼らの展開する
ジェンダー差別は大手を振るって
蔓延を続けられることになります。
因襲・反動的な家族・ジェンダー観と、
「オンナコドモのことはくだらない」
という「政治的ミソジニー」が
日本では、諸外国にもまして根深く
浸透していることになります。
これらの社会への浸透ぶりゆえに、
カルト教団が政界へ接近する軸として、
利用されうることになります。
保守や右派の偏見や劣情に入り込むのは、
カルト教団の常套手段です。
それが教団の保身や勢力の拡大に
都合がよいからです。
日本の場合、そのような「保守・右派の
偏見・劣情」は、因襲・反動的な
家族観であり、ジェンダー差別や
政治的ミソジニー、ということになります。