12月31日エントリの続き。
社会の不満、とくに個人的な生活に
関する問題を、政治で解決するという意識が、
日本の国民はとぼしいのではないか、
ということに関して、わたしは
思いあたるふしがあります。
それは「少子化社会に関する国際意識調査」
(内閣府、2011年)の調査にある、
「子どもを増やさない理由、または、
増やせない理由」の質問についてです。
だいぶ前に「たんぽぽの礼拝堂」ブログで、
わたしが取り上げたことがあるお話です。
「子ども増やさない本音」
この調査を見ると、子どもを増やさない
(増やせない)理由としてもっとも
多いものが「子育てや教育に
お金がかかりすぎるから」です。
男性の44.6%、女性の39.5%が回答していて、
ほぼ4割ほどのかたが、経済的事情を理由に
子どもを持たないと言っています。
調査があった2011年は、当時政権を
取っていた民主党が、子ども手当てや
高校無償化を推進していました。
子ども手当てはほとんど全方向から
攻撃され、実質的に消滅しました。
高校無償化は限定的ながら定着しましたが、
それでもあまり理解されなかったです。
子ども手当てや高校無償化に対する攻撃は、
当時の世論全体の論調でした。
それゆえ上述の調査で「子育てに
お金がかかる」と答えた4割の中にも
子ども手当てや高校無償化に反対した人たちが
一定数いると考えられます。
手当ての給付に反対しながら、
「子育てにお金がかかる」と言って、
子どもを持たないというのは、
どういうことなのか、という疑問が
とうぜんながら出てきます。
「お金が必要だ」というなら、
政府が給付をふやしてくれるなら、
とうぜんそれに賛成するはずです。
それなのに給付増額に反対するのは、
とんだ「肉屋を支持する豚」です。
こうした人たちは、あまり深く考えず、
さしずめマスコミの論調に乗せられて、
「ばらまき反対」「財源がない」と
唱えていたのではないかと想像します。
「子ども手当てや高校無償化は、
自分の生活の改善につながる政策だ」
という認識にはいたらなかったのでは
ないかと思います。
こうしたことは、「自分の生活にかかわる
課題を政治で解決する」という意識に
とぼしいこともありそうに思います。
それゆえ子ども手当や高校無償化も
自分たちの生活とは結びつかないのだと思います。
彼らにとっての政治とは天下国家論や、
政局、イデオロギーなのでしょう。
給付の増額も民主党政権を
攻撃するための政局の「ねた」くらいの
認識だったのではないかと思います。
付記1:
このエントリでお話した
「少子化社会に関する国際意識調査」の
調査対象は20-49歳の男女です。
12月31日エントリでお話した
『我が国と諸外国の若者の意識調査』
よりは上の世代がカバーされています。
付記2:
この「子育てに金がかかる」うんぬんの
お話は2011年の調査なので、
いまから10年以上前です。
でも政治と生活に関する日本の
世論一般の意識は、いまもさほど変わって
いないのではないか、という気がします。
日本の有権者は、政権交代という発想さえ、
すでになくなっているのかもしれないです。
震災に関係して野党を攻撃するのは、
例によって自分たちの問題を
責任転嫁して、批判の矛先を
そらそうというのだと思います。
http://taraxacum.seesaa.net/article/482725951.html