産経新聞が行なった、小中学生対象の
選択的夫婦別姓のアンケート調査ですが、
教員向けの説明文が公開されています。
「選択的夫婦別姓・小中生2000人調査 教員向けの説明文」
この「教員向けの説明文」は、
選択的夫婦別姓に関して、反対派(非共存派)は、
どのような偏った認識を持っているかが、
いくつかしめされています。
現状、夫婦別姓を望む人には、
職場などでの旧姓使用やクレジットカードなどの
名義変更などが煩わしいという理由と、
自身のアイデンティティのためという
2つの理由があります。
ただし前者についてはほぼ解決済みであり、
旧姓使用を認めない職場もほとんどありません。
後者については「心の問題」です。
旧姓使用はまったくふじゅうぶんで、
結婚と苗字の問題をごく一部しか解決しないです。
それにもかかわらず、産経新聞は
「ほどんと解決済み」と、あきらかに
事実に反する主張をしています。
アイデンティティは、尊厳や人格に
かかわる重要な問題です。
産経新聞はそれをまったく理解せず、
「心の問題」と矮小化しています。
このような矮小化や、事実と根拠から
乖離した認識は、反対派(非共存派)の
無理解と偏見の典型です。
親子別姓やきょうだい別姓が「悪いこと」
という前提や、選択的夫婦別姓の導入で、
家族や親族の争い種になるという認識も
反対派(非共存派)にありがちな偏見です。
「選択制なので選びたい人だけだからいいのでは」
「自分の意思だからいいのでは」という
意見もありますが、婚姻制度の自由度が高まることで、
逆に家族、親族内の争いの種に
なりかねないという見方もあります。
また、生まれてくる子供にとって
選択肢はなく、「強制的親子別姓」
「強制的きょうだい別姓」になりかねません。
今、マスコミではここの議論をあまりしていません。
世論調査などは「選択的夫婦別姓」か、
「現状の夫婦同姓」か、の2択しかなく、
「旧姓使用の拡大」は選択肢に加えられていません。
影響を受ける人の中には子供も
含まれるにもかかわらずその意見も
まったく取り上げられていないのが現状です。
現在の日本でも、事実婚、旧姓使用、
国際結婚などで夫婦別姓の家庭はあります。
これらの家庭の子どもたちは、
親子やきょうだいで別姓のこともあります。
夫婦別姓の家庭の子どもたちへの
ヒアリング調査もあります。
それを見ても、親やきょうだいと
苗字が異なることで、深刻な問題が起きた
という事例はないです。
「子どもの気持ちを考えていますが?」
「子どもの気持ちを考えてください」
選択的夫婦別姓の意見書を提出する
高校生など、自分が結婚するときを考えて、
選択的夫婦別姓の実現を求める
子どもたちもいます。
「選択的夫婦別姓の請願・高校生が提出」
「その人ら、家族の絆もろすぎひん?」
こうした「子どもの意見」は、
マスコミでも取り上げられたり、
議論になることがあります。
ところがこれらを、反対派(非共存派)が
話題にすることはほとんどないです。
反対派(非共存派)こそ、親子別姓、
きょうだい別姓で問題ない子どもや、
みずから選択的夫婦別姓を求める
子どもの意見を、取り上げもしないし、
議論もしないのだと思います。
産経新聞の選択的夫婦別姓の調査の
「教員向けの説明文」は、反対派(非共存派)の
無理解と偏見を反映したもの、
ということになるでしょう。
このような偏った認識にもとづく
多分に誘導的なアンケートを、
「回答が誘導的にならないよう」にしたと、
産経新聞は言っているわけです。
選択的夫婦別姓制度の導入をめぐり、
産経新聞社が昨年11〜12月、
小中学生を対象に行った調査では、
回答が誘導的にならないよう
教員向けと子供向けにそれぞれ説明文を用意した
(実際に使用するかについては任意)。
産経調査の教員向けの説明文、「選択的夫婦別姓反対の論拠にしたいので、子どもたちを利用させてくれ」という意図をはっきり伝えてしまっているので、この調査が中立に取られたように装うのは無理ではないでしょうか。… https://t.co/wc4Se4c6Sy pic.twitter.com/qa7be655dO
— 井田奈穂|一般社団法人あすには代表理事|ライター (@nana77rey1) January 1, 2025
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
自分の偏った認識こそ、「客観公正」とか
「中立的」と思っていることが多いです。
かかる反対派(非共存派)の一般則が、
この産経新聞のアンケート調査でも
あらわれているということだと思います。
心の問題=矮小化、という見方に賛同できないのですけど。
それと今、前提となっている夫婦別姓導入の議論は、子供の名字は一方に統一するので兄弟姉妹で名字が異なることはない、と。
こちらを採用する形になっているようですね。
それが広く伝わっているのか、あるいはその件は決まったわけではないのか、それが疑問です。