とって問題だ」という、選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)の主張に
反論する記事をご紹介しました。
「選択的夫婦別姓「子どもへのメリットも多い」 反対意見に識者が反論」
選択的夫婦別姓「子どもへのメリットも多い」 反対意見に識者が反論https://t.co/4VWlr8VwIo
— 毎日新聞 (@mainichi) March 5, 2025
国内外の家族法制とその影響に詳しい、慶応大・阪井裕一郎准教授に聞きました。
このインタビュー記事の中で、つぎの指摘があります。
実際には「結婚した女性が名字を
変えないことが許せない」という家父長的な
考え方が背景にあるだけではないか。
本当に子どものことを心配した結果なのか、
大変疑わしいと思っている。
一方で、だからこそ、もはや論理的な
説得は難しくなっているのも実情だ。
「『結婚した女性が名字を変えないことが
許せない』という家父長的な考え方が
背景にある」、まったくその通りだと思います。
国連の女性差別撤廃委員会の委員長を過去2年務めた林陽子弁護士
— 一般社団法人あすには(選択的夫婦別姓・全国陳情アクション) (@chinjo_action) November 29, 2024
『障害となっているのは日本社会の「世帯主は男性で、その名字に統一することは子どもにとってもいい」といった家父長的な意識であり、日本だけがこのような制度を続けていることに違和感を抱いています。』https://t.co/WVN37IW4Qg
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)男性の
本性は「妻に改姓させて、男性である
自分の苗字で夫婦同姓にしたい」です。
選択的夫婦別姓が実現すると、
自分の妻は生来の苗字に復姓すると
彼ら反対派(非共存派)男性は信じています。
「妻が復姓するのは嫌」だから、
選択的夫婦別姓に反対することになります。
この反対派(非共存派)男性の本性は、
自己中心的で差別的なことはあきらかです。
それゆえ反対派(非共存派)たちは、
かかる本性を隠して言わないようにします。
それでも、このようにはっきりと
指摘されるということは、「隠したところで
反対派(非共存派)の本性は見透かされる」
ということだと思います。
反対派(非共存派)の本性に言及するかたは、
ときどきいらっしゃります。
そうしたかたを見ると、「ああ、やはり
わかるのか」と、わたしは思います。
さらに言えば、反対派(非共存派)の男性の
本性をはっきり述べたことについては、
「よく言った」と思います。
メディアもよくこれを載せたと思います。
反対派(非共存派)は自分の本性を
隠して言わないことが多いですから、
確証をつかみにくいので、言及しにくいことだと言えます。
そして隠すくらいですから、
反対派(非共存派)としては、それくらい
「言われたくない」ことでもあります。
それをはっきり述べるということは、
反対派(非共存派)の顔色をうかがって
発言を遠慮することがなくなった
ということなのでしょう。
シャネルは女性の服装を解放的にしたとされていますが、ミニスカートが嫌いで自社のスタッフにはミニスカート禁止にしていたとかですね。
つい最近では、なぜゼレンスキーがスーツ着用せずトランプと会談に望んで軽蔑されたのかとか。
朝日新聞では、その何故?について服飾評論家が「白人ボーイズクラブのルールに従えということではないか」なんてコメントしてました。
ゼレンスキーが記者に突かれた時点では「戦争が終われば、今、あなたが着ているのと同じようなスーツを、いやもう少し高いスーツを着ますよ」と得意のアドリブで余裕でした。
ところが、その先でトランプが「その服いいね」と言った時には「真剣な質問を、真剣なお話をしたいんです」とか言って、実はもうゼレンスキーのなかでは、あの時点でキレかかってたんだろうなと。
要するにインドのモディ首相のようなインド式の服とかサウジアラビアのサルマン皇太子がイスラム民族衣裳を着て来るなら構わないけど(日本の首相が着物でも?)白人男性ならスーツにネクタイだろってことなんでしょうか。
それで「日本人夫婦なら同姓だ」という、こだわり。
自分達だけでなく他者であっても「日本人だろ」と。
別姓導入派は「そんなの日本の伝統でなく100年ちょいでしょ」
「違う。仮にその説をとった場合でも100年以上やってれば伝統だ。学校も企業も創立100年以上なら伝統だ」
「それとこれとは別問題です」と。
ゼレンスキーやウクライナ国民の方々からすれば「平和ですね」という感じでしょうけど、互いのこだわりというのはそれなりに重いのも事実でしょうね。