特攻隊員として送り出しながら自分は特攻せず、
戦後も長生きした特攻隊の司令官たちのリストです。
8月15日の敗戦記念日に似非愛国者達が靖国神社で乱痴気騒ぎするのにあわせて
— 愛国心の足りないなまけ者 にきめっ! (@tacowasa2nd) August 14, 2025
そんな現代の愛国者にも通じる、多くの部下を靖国に送り自分は行かなかった愛すべき特攻隊の司令官達を紹介します。
・中澤佑 海軍中将
「俺は死ぬ係じゃない」と有名な台詞を残し、90歳で天寿を全うする。
・富永恭次…
8月になると6日、9日の原爆投下に15日の停戦と
太平洋戦争の記念日が続きます。
日本で暮らす人たちはいやおうなしに
太平洋戦争に思いを起こすことになります。
(9月2日の敗戦の日には、日本社会の関心が
すっかり薄れているのは、いかんともしがたい。)
それに合わせて騒がしくなる人たちがいるので、
釘を刺すために、自分は特攻しなかった特攻隊の
司令官のお話をしようというのでしょう。
ここでわたしが注目するのは太田正一という、
「桜花」という特攻兵器を立案した人です。
戦後は名前を変えて暮らしたとあります。
・太田正一海軍大尉
桜花の立案者。自分が乗るから開発させてくれと
頼み込んだくせに適正なしで搭乗せず
戦後は名前と戸籍を変更後、82歳で天寿を全うする。
なぜ名前を変えたかといえば、特攻兵器の
開発をした責任を問われたくないからでしょう。
名前を変えるのは、別人になりすます手取り早い方法だと、
あらためて認識することになります。
太田正一のお話はこちらの記事にくわしいです。
太田正一は敗戦後すぐに自殺をはかるので、
それで死んだと思われ、別人になりすまし
やすかったのもあるようです。
この自殺は未遂で、その後も生きながらえました。
「『名前を失くした父』(ドキュメンタリー) 」
「人間爆弾「桜花」と新幹線0系、その数奇な関係」
しかし太田は、偽名を使って別人になり生きのびていた。
ただし偽名で戸籍がないため、まともな職に就くことができず、
随分苦労したらしい。その後結婚するも、
妻や子どもにも永らく正体を隠していた。
大田は戸籍を失い、「横山道雄」と名を変え、
年齢を偽り、新たに築いた家族にさえ長いあいだ
自らの正体を明かさずに、1994年まで生きたのだ。
これらの記事を見たところだと
太田正一の戦後は苦労の多い人生だったようです。
「のうのうと生きていた」わけではないようです。
偽名を使っているゆえに戸籍がなく、まともな仕事に
つけないというのが、やはり大きいようです。


