8月24日エントリの続き。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』は、
名前がモチーフになっていることをお話しました。
自分の名前が記憶からなくなると、
現実世界に帰れなくなるストーリーです。
「はてしない物語」
『はてしない物語』はもうひとつ、
名前のモチーフとしての使われかたがあります。
それはバスティアンが「童心の女王」に
名前をつけたら「幻想郷」に入ったというものです。
現実世界に帰ってきたバスティアンは、
『はてしない物語』の本を古本屋に返しに行きます。
すると本屋の店主は、
じつはおれも「幻想郷」に行ったことがあるんだ。
「童心の女王」に名前をあたえると、
何回でも「幻想郷」に入れるんだよ。
と「ねたばらし(?)」です。
「だれかに名前を与えると力を得る」というのも、
幻想小説にはよくある展開のように思います。
名前を与える相手は、通常は物語の重要人物です。
名前を得た人物は、自分の個性、存在意義や、
アイデンティティなどを得ることになります。
与えた名前に応じて、名前をつけられた人物の
個性などが変わることもあります。
名前をつけるということは、その人物に
本質となるものをあたえる、ということだと思います。
それゆえ名付ける側も、それだけのことに
ふさわしい力を得るのだと思います。



キリスト教の国では聖書に出てくる人物からとった名前が多いです。
ダビデ(デイビッド)、パウロ(ポール)、
ミカエル(マイケル)、アブラハム(エイブラハム)
マリア(マリア、メアリー)、エリサベト(エリザベス)
アンナ(アンナ。マリアの母親)
政治家などはオバマとかトランプとか苗字のほうが先行しても、日本と比べて一般的には名前(ファーストネーム)で呼ばれることが多いから、かえってファーストネームに対する思い入れのほうが強いかなと。
日本は苗字が先行しますね。
また日本では偉人とか歴史上の人物、また天皇家の人の名前から取り入れるということがなくはありませんが、あまり多くはないです。
そのあたりも欧米諸国とは感覚が違う面がありますね。
こちらにコメントありがとうございます。
というか、それをわかっているから、
反対派(非共存派)の男性は妻に自分の
苗字を名乗らせようとして、
必死になるのかもしれないです。
またまたコメントありがとうございます。
そうです。
反対派(非共存派)はきわめてたちが悪いです。
主人公の千尋ちゃんが名前を奪われて千になりました。
当時は何も感じませんでしたが、名前を失うというのはこういう気持ちなんだなと思いました。
こちらにコメントありがとうございます。
「『ちひろ』っていうのかい?贅沢な名前だねえ。
いまからおまえの名前は『せん』だ。
いいかい?『せん』だよ。
わかったら返事しな、せん!」
ですね
このお話も名前がモチーフになっているし、
じっさい、名前が変わることが、
本人の本質を変えていると思います。