とつぜん、こんなウェブページを見つけました。
選択別姓を認めるというのは、性差別の解消というより、
個人の生きかたの選択を保証することだ、という主旨のページです。
またこれを読んで共感したかたがいて、メールで賛同の意見を送っています。
「夫婦別姓について」
「『夫婦別姓について』の感想。」
これらが書かれたのは2002年、選択別姓法案が実現しそうで、
議論も政治活動も、盛り上がっていたときです。
こうした意見は、じつはこのころ、主流を占めていたものです。
さきのページをご覧なれば、当時の雰囲気を結構満喫できるでしょう。
『Makiko T's Website』というサイトで、
作っていらっしゃるのは、トランスジェンダーのかたです。
リンクしたコンテンツは、「まきこのジェンダー評論」と、
「寄稿・インタビュー・その他」のコーナーにあります。
「女性差別だ!」なんてもの言いは、どこか古臭い感じですし、
なによりヒステリックで、攻撃的な印象を与えて、
一般からの理解を得るどころか、かえって反発を買いそうです。
それにひきかえ、生きかた選択の保証とか、カチカンの尊重とか言うのは、
おたがいを認め合おうという、寛容な考えであり、
これこそ多くの人たちから、理解を得られそうな気がします。
こうした考えは、自分たちは、異質ゆえに排除されているという、
コンプレックスの強かった、選択別姓にかかわる、
多くの人たちを魅了し、感動させたりもしたのでした。
(いまでも感動なさるかたは、多いのかもしれないけれど。)
02年当時おさかんに活躍していた、インターネットの市民団体も、
「多様なカチカンの尊重」というのが、大好きでしたから、
リンクさきのページや、共鳴のメールを見れば、きっと賛同するでしょう。
ところで、たんぽぽは、ひねくれているので、
「多様なカチカンの尊重」というお題目が、とても苦手です。
いかんせん、ネットの選択別姓の市民活動家たちが、
反対論者に対する、正当な根拠のある批判まで、
「不寛容だ!」と決めつけ、強引に封じ込めて、
「反対派のカチカンも尊重できる」と、持ち上げていたからです。
もちろん、こんなやりかたで、反対派をかばっても、
なんにもならないどころか、逆効果なだけでした。
おかげで、わたしは、ずいぶんひどいめにあいましたよ。(泣)
正当な批判まで封じるなら、それこそ不寛容であり、
そんなのは多様性の尊重ではないと、あなたは、おっしゃると思います。
ところが、「多様なカチカンの尊重」という、お題目を信奉していると、
寛容と思われたくて、しばしばこうした倒錯におちいるみたいです。
リンクしたページを書いたかたや、共鳴してメールを出したかたも、
このような倒錯におちいっているなどと、
言うつもりはないので、ねんのためお断わりしておきますね。
でも、当時の雰囲気が、よく出ているコンテンツだったので、
市民活動家たちに、いやな思いをさせられたトラウマが、
わたしは、ぶり返してしまったのです。(泣)