すこし前の、11月18日エントリでご紹介した、
「目糞鼻糞を笑う、本多勝一バッシング」ですが、
これをはじめて見たとき、わたしは、すごい感心しましたよ。
(もうずいぶんむかしのことですが。)
ネット言論や、市民運動にありがちな事態が、
的確に指摘されていると思いますし、実証的態度とはなんぞや、
といったことを考えるのにも、ものすごく役に立ちました。
のちにわたしが、選択別姓の市民団体の人たちが
集まる掲示板で議論するときも、方針を決めるのに参考になりました。
文章も成熟感があるし、構成もよく考えられていると思います。
「サヨク教条主義」が、批判のメインになっていますが、
この手のことは、サヨクに顕著だというだけで、
どんな思想集団でも、教条思考におちいることはありえるでしょう。
そういうしだいなので、わたしは、何度も読んだのですが、
ウェブで発言するのが大好きな、ネチズンたち一般にとっては、
結構感情を害するのでは? なんて思ったりもしています。
批判されている「本多批判派」のかたたちの中から、
いくつか反応があったのですが、つぎの通りですよ。
「速 報」
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/QA.html#seeji-riyoo
http://www.geocities.jp/srybx731/back13.html#sec17
http://www.geocities.jp/srybx731/back13.html#sec18
感情的なお返事で、むかついていることが、一見してわかりますね。
論点をそらしたり、枝葉末端にばかり反応したりで、
まともに受け答えていないことも、わかるでしょう。
抑えられるべきところを抑えられたのか、反論できなかったみたいです。
わたしが察するに、本多勝一氏は、反欧米イデオロギーが
強いかたなのではないかと思います。
戦前ほどではないにしても、1960-70年代は、欧米に対して、
コンプレックスを持つ日本人は、まだまだ多かったですから、
そうした人たちの共感を得て、人気を博したのだろうと思います。
「本多勝一研究会」のサイトを見ると、たとえば、
本多氏は、外国人の運営する賞を、あるところでこき下ろしたり、
べつのあるところで、持ち上げたりするとあります。
これも、欧米コンプレックスが、表になって現われたり、
裏返しになって現われたりするのも、あるのだと思います。
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/QA.html#gaikoku-shoo
話題になっている、カンボジア大虐殺の「勇み足」も、
「欧米はアジアを見下して傲慢だが、アジアの平和は人間的だ」と、
思いたい気持ちが、あったのだろうと思います。
アジアの人たちも、じつは欧米人とかわらない残虐さだったと、
あとでわかって、そっくり撤回するはめになったのでしょう。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/research/cambodia/kisha.html
「本多批判派」も、反欧米イデオロギーの強い人ばかりのようで、
カンボジアの「勇み足」ついて、本多勝一氏を批判すると、
「そうやって欧米憎しでいるから、がせねたつかむんだよ!」となって、
自分たちの欧米コンプレックスにも、波及することになります。
おそらく、このことには、向き合いたくないのでしょう。
それで「過去の自分の文章を改ざんした本多が悪い」と、
一方的に決めつける、「個人的な論難」に終始するだけで、
本多氏の「サヨク主義の本質」を「突けない」し、
「哲学的政治学的洞察」もするわけにいかないのかもしれないです。
2007年11月26日
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Tracked: 2007-11-28 11:42
数年前、「週刊金曜日」で小沢一郎氏と対談し、二人はナント意気投合したんですが、自民党の対米従属に対抗して反米的なスタンスをとりつつあった小沢氏と気が合ったのかもしれません。
それと、70年代には本多氏は社会主義に結構教条的なかぶれ方をしていて、文化大革命にも絶賛に近い肯定の仕方でした。ただ、中国びいきだったせいか、ソ連に対しては否定的でしたね。
ポル・ポトを最初かばおうとしたのも、カンボジアが共産主義国家だったからだと思います。しかし、その本多氏が自ら取材もしてもっとも思い入れの強いベトナムがカンボジアと対立したので、カンボジア批判に転じたんでしょう。
ただ、国民を大虐殺したポル・ポト政権のカンボジアよりはベトナムの方がまともだったのは当然のことで、むしろ当時ポル・ポト政権をかばおうとした一部の社会党系の人たちの方がいっそう罪深かったのではないかと思います。
えーと...
それは、「本多批判派」のことと思って、よろしいのかな...?
こうもうしてはなんだけど、全般的には、
(自然科学の話題のところは、結構まともだと思いますが)、
「本多批判派」のほうがおそまつだと、わたしも思います。
当り散らしているという雰囲気が、伝わってきますしね...
(「目くそ鼻くそ」なんて、まだ手加減している表現かもしれないです。)
kojitakenさま
くわしいコメント、ありがとうございます。
(本多勝一って、結構自分に正直なのね...(苦笑))
本多勝一は、ヨーロッパのことは、悪感情はそれほどないのかな...?
アメリカに対してのほうが、ずっと敵対心が強いとは感じていたけれど、
ヨーロッパもそれなりに、コンプレックスがありそうに思ったよ。
共産主義にかぶれていたのは、知らなかったです。
(カンボジアを最初にかばったのは、共産主義政権だからというのは、
その時代の識者のご他聞にもれず、あっただろうとは思ったけれど。)
でも、「本多勝一研究会」で、やりだまに挙がっている、
『欧米人記者のアジアを見る眼』は、反(欧)米感情があらわに出ていますね。
久しぶりに、見たら「目糞鼻糞を笑う、本多勝一バッシング」が取り上げられているので自称?本多勝一信者としては、なにかコメントしなければ、思いました。(ここ十年近くの著作は、あまり見てないので、堕落信者です)
私も見たのは、数年前ですが、書いた人が、「アントニオ・グラムシ研究のためのウェブ」のホームページを作っているので、微妙な”縁”を感じます。批判する方向性は間違っていないと考えますが、http://members.jcom.home.ne.jp/i-kawag/index.html/を見ると、この人は、どのように、本多勝一を批判的に「読んだ」のか、疑問が湧きます。
人間、本多勝一には、あまり「思想性」はないのではないかと思います。「ベトナム報道」以降、批判(特に右からの)に対して、批判的に答えている内に練り(弁証法的に)あがったのでないか、と考えます。学生の頃(本多勝一の)の書いた物を読んでも、あまり、左翼的な言質は、ありません。
批判者が作った”本多勝一像”を支持者は、”現代マスコミの英雄”として崇めたのだろう、考えます。
人間、本多勝一は、簡単に人に騙されたり、社会的には上手く立ち回るのは苦手な感じです。
二度ほど、講演を聞きましたが、書いている文とはほど遠く、紙を読みながら恥ずかしそうに話していました。同じ時期に生の小田実も見ましたが、テレビ見る早口の小田実でした。なかなか、強烈な印象が。
「共産主義」というより、毛沢東思想でしょう。目標としているエドガー・スノーの流れかなと。クメール・ルージュも毛沢東思想の究極にしたものだからです。
普通は、学生の頃にかぶれる「思想的なもの」に70年代、35歳?から40歳以降にかぶれたのでないか、
それだけ、純粋で純真?なのかもしれません。
そうそう、「目糞鼻糞」を書いたかた、グラムシ会のかたなんですよね。
(それで、あなたのことを、ちょっと思い浮かべてた。(笑))
でも、ぐら虫さまも、「目糞鼻糞」をご存知なのは、奇遇でした。
(「本多批判派」との議論、リアルタイムで見ていらしたのかしら?)
>http://members.jcom.home.ne.jp/i-kawag/index.html/を見ると
この人、そのあたりの感覚が、ものすごいですよね。
9.11同時テロのときも、アフガニスタン攻撃を、全面的に支持していましたし。
(このときは、そういう人もいるかなくらいに、わたしは思ったけれど。)
03年のイラク攻撃まで、全面的に賛成していたのには、
わたしは、思いっきり引きましたよ。
国連の決議もなかったし、アメリカ国内外の世論も、
かなり批判的だったので、いくらなんでも反対すると思っていた。
(でもって、わたしは、「この人いっちゃってる」と思って、
それっきり興味がなくなりました。)
でも、かかるすさまじい国際感覚とは無関係に、
「目糞鼻糞」が、よく書けていることには変わりないので、
わたしは、評価しているんだけど。
それから、本多勝一のことも、どうもありがとうです。
(なるほどねえ...)
いささかファナティックだな、という感じが、
わたしはしていたんだけど、純粋と純真の産物だったりするのかな...?
書くものの雰囲気と、会ったときのイメージが
ぜんぜんちがうのは、ときどきあることだけどね。
あと、中国びいきというか、毛沢東びいきのようですね。
南京事件の先駆的な取材も、かかる中国(というか毛沢東?)びいきの
なせるわざ、だったんでしょうか...?
それは、「部分」の批判は出来ても、「全体」(総体)の批判が難し所あると、考えます。私が考える本多勝一の「思想」は、「原理原則」、「言行一致」、「たえず少数からの視点(立場)から見る」や「常に間違いを正す」(これは科学的実証主義から来ているのだろうと、思います。もしかしたら、その中に”ドグマ”?があるのかもしれません)などがあると、考えます。批判すると自らに帰ってくるので、躊躇します。だから、「目糞鼻糞」氏が下のホームページを訂正もせずにそのままにしているのは、「?」です。「言行一致」は、どうなる?
まだ、本格的にネットに繋がったのが、一年程なのと、それまでは、不定期にダイアルアップでしていただけなので、「本多批判派」との議論は、リアルタイムでは、知りません。
「目糞鼻糞」は、まあまあくらいの評価だったですが、http://members.jcom.home.ne.jp/i-kawag/index.html/を見て、「ありゃ、この人だいじょうぶ」という評価に変わりました。まず、「いかなる権力・権威・イデオロギーからも独立した自律の精神」なんていう前文を掲げるなんて、恥ずかしくて出来ません。なかなかの根性ですが。私の中でのグラムシの評価まで下がりました。まぁそれを理由に読んでないだけですが。
最近の本多勝一には、あまり興味がありません。より、厳密に言えば、新聞社を辞めて数年後くらいからでしょうか。ある意味、”英雄”から”人間宣言”したような状態なので、長生きしてください、とくらいしか、いえません。あまり書くと本当に”信者”か?疑われそうです。文の全体からも。
「南京事件の先駆的な取材」
これは、いくつかの本でも書かれているですが、短く言えば、「ベトナム報道」で米軍を批判したので、自らの「旧日本軍」は何をしたのか?という疑問から始まっています。「原理原則」を当てはめたのでしょう。
まず、初めに”自称信者”と書いたのは、失敗でした。これは、あくまで自称ですが、”何々信者”(何々派も)、もしくは、”何々理論”などと、自分勝手に付けています。これは、なだいなだ氏の(これもなだ氏が勝手につけるのですが)”何々主義”(何々イズム)、何々学(何々オロジー)から派生しています。前の文で書い(説明し)た気になっていました。すいません。
「目くそ鼻くそ」や、本多勝一歴については、だいたいわかってきました。
>「いかなる権力・権威・イデオロギーからも独立した自律の精神」
わたしも、それ、気になっていましたよ。
(反米ポピュリストや、護憲ポピュリストにむかついて、
語調が激しくなってきたのも、あるのかもしれないけど。)
じつは、「目くそ鼻くそ」でも、その徴候はすこしありまして...
このかた、「常識的判断」のようなことばを、よく使うでしょ?
このたぐいの語が盛んに出てくるのは、
かえって怪しかったりするので、注意が必要なんだけど、
その悪いところが、しっかり出ちゃった感じだよね...
「目くそ鼻くそ」のかた、アメリカは正義で、
イラクは野蛮だと、かなり本気で思っているみたい。
その意味では、思考停止して、アメリカに追従している、
軍事的リアリストとはちがって、「自律」しているのかもしれないけど。
あと、サイトを放置してあるのは、単に飽きたので、
投げ出したまま、忘れているだけじゃないかな...?
>「南京事件の先駆的な取材」
>「原理原則」を当てはめたのでしょう。
これは、本多の影響を受けたと思われる人から、結構感じていますね。
欧米諸国の植民地支配を、絶対悪とばかりに糾弾する人は、
日本の戦争犯罪や植民地主義ついても、潔癖だったりします。
(こういうところで、ダブルスタンダードは取れないんでしょうね...)
それで、本多勝一氏ご本人も、そうなんだとは思いますが。
でも、中国びいきだから、中国に興味を持った、
というのも、多少はあるんじゃないかな...?
韓国びいきだったら、日本による35年間の、
朝鮮植民地統治あたりから、手を付けていそうだからね...
投げ出したまま、忘れているだけじゃないかな...?」
「目糞、鼻糞」氏が「本多勝一はけっこう読んできたほうである」なら、あのサイトは、訂正するか、削除すべきと考えるのですが、さすがに、現在の「目糞、鼻糞」氏がどうなっているのか、判断しかねます。
今、読むとこちらまで恥ずかしくなるので。名前まで解っているので、誰か注意しないのかな?それに、なんか、シオニストのグラムシ、て逆に笑ってしまいます。グラムシにあやまれて。
今でも、そのままなのは、過去の過ちを悔い改めるために残している?
「韓国びいきだったら、日本による35年間の、
朝鮮植民地統治あたりから、手を付けていそうだからね...」
本人(本多勝一)はやる気だったみたいですが、「ベトナム報道」で韓国軍を取り上げたので、入国禁止?朝日新聞による自粛のようなことを書いているのを何かで見ました。1970年代、当時の軍事政権下で日本との関係において、「朝鮮植民地統治」を新聞に載せるのは、支局がなくなる以上の外交問題に発展する可能性が?「中国の旅」以上になったでしょう。
まず、当時、「中国の旅」が朝日新聞で連載されたことさえ、ある意味で”奇跡”に近いと考えます。これには、様々な要因や時代背景がありますが。「反響」に関しては、本多氏の力が大きいと考えます。しかし、それが、多くの”敵”を生み出しました。さすがに、次の「南京への道」は、新聞には、載らず、朝日ジャーナルでした。
「本多勝一氏ご本人も、そうなんだとは思いますが」
学生時代に書いた論文「パイオニアワークとは何か」というのあります。内容は、あまり覚えていませんが、「人のやらないことをやる意志」を強く感じる論文でした。だから、本多氏の仕事は、人のあまりやらなかったことが、ほとんどです。一人の人間の仕事量としては、考えられないくらい。
そのあたりから、「本多勝一万能論」や”敵”を論争で叩きのめしてきたことから、「本多勝一無敵論」、はたまた、「本多勝一無謬論」なんかのイメージを持ったのかなと。それは、”英雄の時代”(60年代後半から80年代中頃?)のことだろう考えます。私が読み出したのは、その最後(80年代中頃)からです。(本の内容を)部分的に読みながら検証するような立場でした。
”英雄の時代”は本多勝一が本多勝一を演じた、それは、「人の書かないことを書く」ことによって、それに(書いたために)縛られた可能性があると、考えます。ある意味で最も「正直な人」であると。
今は、自由な感じなので、まあ、いいかなと。でも、宅八郎をえらく擁護していた時は、それは、ちょっと。
またまたコメント、どうもです。
>名前まで解っているので、誰か注意しないのかな?
そういえば、会のなにかの役を、やめされられそうになったとか、
そんなことがあったように思います。
ウェブサイトのことも、いろいろと言われていたみたいですよ。
(正確なところは覚えてないけれど、ウェブでもすこし書いていたよ。)
>本人(本多勝一)はやる気だったみたいですが、
なるほどねえ...
くわしい事情について、お話してくださって、ありがとうです。
じつは、ドイツでも、1950-60年代までは、
過去の戦争責任に、ほおっかむりする雰囲気が強かったのでした。
追求の雰囲気ができたのは、1970年ごろからで、
それから、過去に潔癖となる論調が、顕在化していくことになります。
日本の戦争責任の自己追求が、本格的になったのも、
時期的には、ドイツと同じになりそうですね。
日本の場合、ほおっかむりする勢力が強く、世論全体に
顕在化がしなかったことが、ドイツとの違いになるのかな...?
このあたりのちがいは、本多氏のせいではなく、
国民全体のポテンシャル(潜在力)だと思いますが。
>「パイオニアワークとは何か」
>「人のやらないことをやる意志」
なるほどねえ...
人とちがうことをやるのが、日本人は、苦手とされていて、
オリジナリティが出せないゆえんと、考えられているんだけどね...
それを逆手にとって、あえて人とちがうことをやることを、
標榜する人もいるけど、本多勝一氏は、その点でも、
先駆的だったのかもしれないですね。