11月26日エントリでご紹介した、「目くそ鼻くそ」に対する、
「本多勝一研究会」の反論のページですが、
ちっとも反論になっていないので、笑えてしまいます。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/sokuhou/sokuhou.html
「目くそ鼻くそ」を、書いたかたから来たメールは、
会員のあいだで回覧されて、結構議論された気配です。
この「速報」を載せるために、「お知らせ」ページを作ってもいるようですし、
なにやかやで、研究会の人たちは、衝撃を受けたのかもしれないです。
ところで、この「速報」ページ、ネチズンや市民活動に関して
わたしが、いやだと感じていることが、コンパクトに
詰め込まれていたりするので、ますます失笑してしまいます。
「個人的な論難をいくらしても非生産的である」と
「目くそ鼻くそ」で、言われているのですが、
本多勝一研究会のサイトは、「当研究会の姿勢を再確認させて
いただきますと」などと、共通認識のお話しています。
ここでは、当人たちの共通認識がどうあろうと、
端から見ると個人的な論難に見えると、言われているのであって、
表向きの「看板」のことを、訊かれたのではないでしょう。
また、「非生産的」というのは、個人的な論難がもたらす
直接的なことであって、「本多氏が活躍していた頃」の、
「関係者とのやり取りを目の当たり」にできたのような、
副産物的なご利益を、言っているのでないでしょう。
どんな非生産的な活動でも、なんらかの副産物はあるでしょうし、
それを楯に取って活動を肯定するのは、そんなにむずかしくないことです。
結局、「個人的な論難が非生産的」に対しては、
真正面から答えていないことになります。
そう言われても、なにも言い返せないし、
またそうした指摘と、向き合うつもりもないことを、
本多勝一研究会は、はっきりさせたと言えるでしょう。
ホロコースト否定のネオナチが、お仲間にいることについては、
「われわれは、ホロコースト否定には反対ですよ」と弁解しています。
それから続けて、「われわれは、さまざまな考えの
人たちと連帯しているのだ」と、言いわけしています。
「仲間にネオナチがいる」と、指摘されたのであって、
「ネオナチに賛同するのか?」と訊かれたのではないですから、
ここも論点のすりかえが、なされていることになります。
わたしは、このくだりを見たとき、インターネットの
選択別姓の市民団体(「氏名を大切にする会」)と、
同じことを言っていると、「デジャブ」しましたよ。(参照)
この手の「すりかえ」は、「多様なカチカンを受け入れている」と、
自分たちは思っている人たちに、典型的なのでしょうか?
実際、研究会のかたは、自分たちのことを、
「イデオロギー的な仲良し倶楽部に堕することなく、
適度な緊張感を持ち研究が進められる」などと自負しています。
この言いぶんも、「別姓を望む人たち」と同じですよ。
じつは「自分たちは、仲良しクラブに堕してない」と、
思える人たちどうしの「仲良しクラブ」に堕している、なんて、
すこしも考え(たく)ないのでしょう。
それから、「批判者は誰が批判するのか?」について、
本多勝一研究会のお答えは、「また会員以外の方でも書き込める
掲示板を用意しております。 批判したければ
そこに書き込めばいいだけの話ですよね」だそうです。
ここは、こないだ話題になった、「雇い止め裁判」の
支援ブログの「閉鎖性」の議論のときと、「デジャブ」ですね。
このときも、「コメント欄があればいいんでしょ?」
なんてなお話になっていたのでした。
そうではなくて、だいじなことは、当人たちに、
自分たちの言動が、おかしな内容や雰囲気になっていないか、
自己チェックできるかでしょう。
そういう姿勢があれば、コメント欄や掲示板も役に立つでしょうけれど、
そうでなければ、物理的にインターラクティブな場所など、
いくら充実していても、だめなのだと思います。
「日本の場合、ほおっかむりする勢力が強く、世論全体に顕在化がしなかったことが、ドイツとの違いになるのかな...?
このあたりのちがいは、本多氏のせいではなく、国民全体のポテンシャル(潜在力)だと思いますが」
ここで、なかなかはっきりとは、書きにくいですが、ドイツと日本を比べて喩えていうなら、病気だったドイツと日本。ドイツは、多くの犠牲をだしたヨーロッパが見ている中で病巣を手術され、多くの膿が出された状態。(中にはネオナチ的な部分も残っていますが)日本は、病巣をアメリカの手で治療され、それも薬で散らされただけの状態、部分的には、治りましたが、病巣そのものは、残っているので、今はそれが出てきている。国民性(メダカ民族 ”本多語”)から考えると手術はムリだった?
目糞鼻糞」の「本多勝一研究会」への批判の所は、同意しています。
「本多勝一研究会」を前に見た時、何がしたいのか解りませんでした。
私自身が読み出した80年中頃から、前にも書きましたが、(読みながら)検証をしていました。それは、本多研と同じようなこと(あそこまで一字一句ではないですが)だったと、考えます。
実際に大学の図書館の書庫で、本多勝一が連載していた「潮」バックナンバーやたまに書いていた「現代の眼」(知ってますかね?)なんかを探して読んでいました。その時(80年終頃)、(70年代から80年代の物)を読んでも、結構、おかしいことを書いていました。特に対談がひどかったです。情報が錯綜した中でのやつだ、と思うので、仕方がないことだと考えます。現代史を書くときの宿命みたいなもの、と思います。
「現代の眼」で立花隆と本多勝一が唯一対談しているのですが(これ以降ありません)、本多勝一の質問に対して立花隆がやたらと、「……」を連発していて、なんか良くわからない対談(70年代中頃)です。対談の文で「……」はないやろ。
「本多勝一研究会」が、文献学的ではなく、より総体に迫るような批判なら参考になるのですが。本多勝一の問題、あまり、詳しくは書きませんが、ある種の「人権感覚の欠落」(と常識感のなさ?)、それは、被害者を絶対視する考えからくるのだろうと、考えます。「殺される側」から書きすぎたために、それに、縛られた状態のようなもの?です。(あくまで個人的な考えです)本多研が、その辺り(的外れなことは書いています)を少しでも多く書いていれば、参考にするのですが。逆の意味での本、岡崎洋三著『本多勝一の研究』『本多勝一の探検と冒険 』がより(本多氏を批判的に読む上で)参考になります。
あまり、批判的なことばかりだと、”信者”じゃないと思われるかもしれないので、いいことも。
本多氏は、80年代初め頃まで、手紙やファンレターに対して一つ一つに返事を書いていたそうです。アルバイトに代筆を頼んだりしながら。今はどうか解りませんが、取材した人にお礼の手紙や本を送っていて、定期的な連絡?をとり、長期の付き合い続けています。本人曰く、次に取材しやすくするためと、10年後、20年後に再訪するためだと。少し前に何十年ぶりかにベトナムに行っていました。
レスが遅れがちで、ごめんなさいね...
日本とドイツの違いは、大きいのはふたつあるんじゃないかな...?
ひとつは、ドイツの占領した地域は、戦前から独立国で、
国際的発言力があったので、彼らが戦争責任を追求する声は、
わりあい聞き入れられたことでしょう。
それで、ドイツはこれを受け入れて、積極的に自らを裁かないと、
国際社会に復帰できない雰囲気が強かったのでした。
日本の占領した地域は、戦前は植民地だったため、
国際的発言力がなく、彼らの声はわりと簡単に無視できました。
また、これらの国の側も、独立や建国の途上だったので、
日本の戦争責任を追求する、余裕も意識もなかったのもあるでしょう。
もうひとつは、ドイツが降伏した時期は、冷戦の対立が表面化せず、
連合国どうしのまとまりがよかったときでした。
それで、ドイツの戦後処理に関して、関係国どうしが、
わりあい協調的になれたので、徹底できたのでしょう。
日本が降伏したころは、冷戦の対立はもう目立っていました。
そこへアメリカが、単独で戦後処理の主導権を持ったので、
日本を反共の砦にするという、アメリカの戦略が優先されることになり、
それで、そのバーターとして、戦争責任の追求が
あまり徹底されずに、すぎてしまうことになったのでしょう。
>「本多勝一研究会」
気に入らないので、当り散らしているって感じ、わたしもしましたよ。
あれを見て、「なにをしたいかわからない」とか、
「非生産的」とか思うかた、結構いるのかもしれないです。
そう思ったところで、グラムシ会のかたのように、
わざわざ書くかたはまれで、たいていのかたは、だまって無視するだけなので、
当人たちの耳に入ることはないんでしょうけど。
>本多勝一が連載していた「潮」バックナンバーや
>たまに書いていた「現代の眼」(知ってますかね?)
ううっ...両方とも、わたしは知らないです。
(というか、わたしは、じつは、みなさんとちがって、
本多勝一は読んだことがないのでして...
思想や業績については、間接的に知っている程度なのでした...)
これは、ほとんど(全く)気にしてません。
たまたま、”本多勝一”という文字と、「目くそ鼻くそ」ことを書いているのを見て、
反射的に書いてしまったのが、初めの文。ちょっといい加減に書いた気がしたので、
いくつかの本を読み返して書いたのが次の文になります。
それで、前に考えていたことを思い出して書いているのが、今の状態です。
だから、半分は自分に書いています。
ドイツのことをあまり知らないので、(うる覚えの教科書的なことしか)
日本とドイツを比べることが、うまく出来なかった(調べて、
考えてしなかった)ので、喩えに逃げました。
日本に関しては、同じように思います。それに加えれば、”国民性の問題”、
それは、「ええじゃないか」思想―「誰々のおかげ戦争が終わった」という発想でしょう。
すべてを曖昧にする考え方だと、感じます。だから、本多氏は、それに反対(カウンター)の意味で「立場」に拘ったのだと考えます。
見出し的に書くなら、「立場のない立場はない」「客観的な意見(立場)は存在せず、
意見はすべて主観(選択すること)である」なんかです。()は私がつけました。
「本多勝一研究会」
テーマが「現代史にとって本多勝一」とか「本多勝一の科学的実証主義」なんかだと読む気もしますが。
あの手法の先に意味はあるのか?何かの理論が生み出されるの可能性は、
まずないので壮大なムダだけ。もし、今でも、月に一度でも更新していれば、
継続していることに「評価」します。
「本多勝一は読んだことがないのでして」
確かに書いている文から、そんな感じはしていました。
ある種の”毒”(薬にもなる?)のような本なので、
議論や論争に強くなる人向けです。(論理の穴を突くのが上手くなる)
若干、たんぽぽさんには、向いてないような気がします。書いている文からの判断ですが。
そんな影響から、私も「議論や論争」好きですが、(ブログを見だして3ヶ月程なので)WEB上でするというのは、あまりありません。(別の法律関係のブログで数回程度)
いまは、「議論をする意味」を考えてしまうので、「意味」がない、何かしらの「意味」を見いだせない「議論」はしない立場です。ムダで虚しくなるので。
元々は、書くことより読むこと(考えること)の方が好きなタイプなのですが、
まだ、書き始めということで書いています。
また、気が向いたら本多氏に関する質問でも書いてください。では、また。
日本だけの事情ではなくて、アメリカの都合もあるんですよね。
むかし、コメントで書いたことで、恐縮だけど。
http://blog.livedoor.jp/kisaragikou/archives/9888214.html#comments
========
ご存知のように、GHQの占領政策は、途中から転換して、
日本を西側陣営に組み込み、ソビエト陣営に対する
防壁にする方針になったのでした。
このときGHQ側は、天皇制の維持、および日本の一部支配層の温存と
引き換えに、反共政策への協力をもちかけたのでした。
そして、日本側はこれを受け入れたことは、言うまでもないでしょうね。
東京裁判は、いわば、日米協力のもとで、この体制の基礎を固めるため、
「軍部の暴走」という「歴史観」を定着させて、軍に責任を押しやった、
というのが、むしろ実際に近い意義なのだと思います。
だから、日本の戦争責任は、東京裁判で終わっていなくてはならず、
日本の一部支配層の免責のためにも、アメリカの反共政策のためにも、
これ以上追求してはならないのでしょう...
========[2004年12月09日 13:27]
>「本多勝一研究会」
この研究会は、ようは、本多が文章を書き換えたところを、
ほじくり返すのが目的で、それで全部見つけちゃって、
やることが終わって、更新もなくなったんだと思います。
>議論や論争に強くなる人向けです。(論理の穴を突くのが上手くなる)
>若干、たんぽぽさんには、向いてないような気がします。
あら、わたしは、論理の穴をつくような、
ある意味いじわるな議論に、不向きということかしら...?
それとも、わたしには、論理の穴をつかれたら
弱そうなイメージがある、ということなのかな...?
(ちょっと気になるかも...)
>また、気が向いたら本多氏に関する質問でも書いてください。では、また。
こちらこそ、なにかあったら、またよろしくお願いしますね。
あの文だと、「議論に不向き、弱そうなイメージがある」になってしまいます。
私としては、「ひねくれものの部屋」を読んだ感想として、
さんざん議論や論争をやり過ぎて、そういうこと(ある意味不毛な議論)が嫌いになったのでないか、
考えました。そのことを加えた気になっていましたが、底が抜けていました。すいません。
もう少し、ちゃんと見直せばよかったのですが。送る前は、よく見るのですが(今回は底が抜けてました)、
送ったあとは、間違いを見ると嫌に(訂正したくなる)なるので、見ないようして、半日や一日おいて見ます。「議論に不向き、弱そうなイメージがある」は、
ほとんどないですが、批判や断定を避け、慎重に書いているのは、感じます。
本多勝一の本は批判と断定の連続なので、読むのが嫌になるのでは、と思いました。
この部分だけ、先に送ります。
一つ疑問なのですが、「確認する」では、行がずれてないのに、「書き込み」でずれるは、私のやり方が拙いのですかね?
「むかし、コメントで書いたこと」
歴史的な考えは、おおむね同意です。 『昭和天皇の終戦史』は、読んでいないですが(学生の頃に)岩波新書のいくつかの本やあと管孝行(やや偏ってます)などを読んで、いくつかのことを調べました。だいぶ前ですが、田中伸尚の本は、図書館で借りて読みました。しかし、最近は、ほとんど読んだり、調べたりはしていません。
いまは、「歴史的な問題」よりその当時の「国民性の問題」(今も変わっていない)に関心がいっています。一つの事件やニュースに群がる人々の問題は、その辺りあるのかなと、考えます。
ドイツに関して本多勝一も「ヴァイツゼッカーの言葉」を引いて日本を批判(ドイツとの対比で)していたのを読んだことがあります。しかし、私としては、ドイツに関しては、判断を保留にしている部分もあります。(調べていないので)
いま見てもだいぶ失礼な文になっているので、恥ずかしく思います。すいませんでした。
こちらからも訂正できればいいのですが。
「気になる」って、興味があるので知りたい、であって、
不愉快という意味ではないので、そんなに恐縮しないで結構ですよ。
ほら、わたしって、とってもおしとやか(笑)に見えるでしょ?
(見えないって...?(笑))
ご指摘の「ひねくれものの部屋」でも、議論がいやだ、
なんて書いているので、気が弱くて議論が下手そうに、
見えちゃうのかな、なんて思ったのでした。
でもって、「たんぽぽに不向き」の意味、わかりました。
(どうもありがとうございます。)
>「むかし、コメントで書いたこと」
読んでくださって、ありがとうございます。
(こういうのってリンクしても、
なかなか読んでくださらないかたが多いので、うれしいです。
一般的には、歴史的経緯より、国民性を議論することのほうが、
多いんだと思います。(これも、本多勝一の影響なのかな...?)
ドイツの国民性を言えば、「徹底」と「潔癖」でしょうね...
だから、子や孫が親の罪を裁くことが、できるんだと思います。
わたしは、ひねくれものなので(笑)、
歴史的経緯のほうに、関心が行ってしまいまして...
その後の方向性を決定付けた点で、とても大きいと思ってます。
(日本人が、戦争責任と向き合いにくいのは、
アメリカの意向もあったことを知ったのが、大きな収穫。)
>『昭和天皇の終戦史』
この本は、わたしは、すごいおもしろいと思いまして...
http://www.bk1.jp/product/00932994
ことあるごとに、話題にしていたりするのでした。
(こんなところでも、本のことしゃべっているけど。)
http://hamnidak.exblog.jp/6887461/
>「書き込み」でずれるは、
それと、ご指摘の疑問だけど、わたしにもわからないです。
わたしは、「確認する」と「書き込み」で、表示に違いがない
(違いがあっても、それに気がつかない?)ので...
お役に立てなくて、ごめんなさいね...
というか、「行がずれる」って、具体的にどういう症状なのかな...?
あと、このウェブログ、コメントの書き直しが
できなくて、ごめんなさいね...
(あとから書き直せるのを、借りればよかったかもしれないです。)
「歴史的経緯より、国民性を議論」
私としては、昭和天皇が死んでから、「歴史的経緯」に
ついて興味を失った点があります。
死んでからは「総括的な意味」で、いくつの本を読んだり、調べたりしましたが。
「国民性を議論」は本多氏の影響がたぶんにあると考えます。
しかし、それでも「歴史的経緯」を考えていたときと同じ時に(国民性)
を考えていただけなので、新しく考え出したのは、最近です。
それは、テレビでの「橋下徹弁護士の煽動発言」を見て、
”嫌なもの”を感じたのが発端です。その前に小泉政治がありましたが、その時は、
ほとんど興味(諦めの心境)を失ったいました。
ブログ自体を本格的に見だしたのも、まだ数ヶ月程度(RSSリーダーで)なのと、
ネットもプロの将棋を見ることをメインに使っている程度だったので、
コメントを書くなんて想像にもなかったです。
今でも横書きの文字を読むのは、しっくりしません。
あの事件(光市)での「被害者に同化する人」の”反応”にポピュリズムを感じて、
いろいろ調べだしたのが始まりです。(元々は”小泉政治”にあると考えますが、
まだ、本格的ネットには繋がっていませんでした)
『昭和天皇の終戦史』
図書館で借りて読んで見ようと思います。著者の吉田裕氏は、
何かで見たような気がしていましたが、家にある本
『オーラル・ヒストリーと体験史―本多勝一の仕事をめぐって』で書いていました。
内容はほんど覚えていません。
「書き込み」でずれる
少し、解ったような気がします。コメント欄ギリギリまで、
文字を入れると(何かの具合で)一文字、もしくは、二文字が下の段にずれて、
一文字、二文字だけの行ができると考えます。ギリギリにしなければ、解決するハズです。
今度は、質問なのですが、私は、今は”アクセサリー”の”メモ”を使って
このコメントを書いているのですが、たんぽぽさんは、何を使って書いているのですか?
初めの頃は、コメント欄にダイレクトに書いて、間違って消してしまってえらい目にあいました。
ブログにコメントするのも、5カ所くらいにしかしていません。
ブログによってはコメント欄の書き方が、全くちがうのですね。
いくつかのやりとりとブログを読んだ感じから、歴史観的なものは、
似っていると思いましたが、「疑似科学」に対する考え方が少し違うように考えます。
私が本多勝一から離れるきっかけは、(本多勝一の)疑似科学のようなものへの傾倒にあります。
だから、正反対というわけではありません。これは、林道義の進化論(4)に書こうかなと。
ああ、いえいえ。
べつに怒っても、不快になってもいないので、
どうかそんなに気を遣わず、安心なさってくださいね。
>『昭和天皇の終戦史』
お時間のあるときにでも、ご覧になるといいと思いますよ。
吉田裕氏は、この分野の研究者ですから、
興味があるかたなら、それなりに見かける名前でしょう。
>「書き込み」でずれる
ああ、そういうことだったのね。
1行に入る文字数が、確認画面と実際のコメント欄とで、
違っているのかもしれないです。
(ブラウザのウィンドウの大きさを変えても、変化するんじゃないかな?)
きれいに表示させるには、手で改行を入れないで、
ずっと文章を続けて書くのが、よいと思います。
そうすれば、行の右端まで来ると、自動的に改行されますから、
1行の字数に依存しなくなりますよ。
>たんぽぽさんは、何を使って書いているのですか?
わたしは、テキストエディタに下書きして、
それをコピー&ペーストで、フォームに貼り付けています。
(コメントも、ウェブログエントリも。)
直接フォームに書くと、なにかのエラーのはずみに、
全部消されることがありますし、下書きしたほうがいいと思います。