2008年01月14日

toujyouka016.jpg カチカンの多様性の濫用

最近わたしのブログに、コメントをたくさんくださる、
かつさまのウェブログ、『遠方からの手紙』で、こんなエントリがあります。
「「価値観の多様性」 と批判への不寛容」
http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801120000/

「カチカンの多様性」とか「カチカンの相対性」という、
聞こえのよいお題目が、あきらかなまちがいや、
自己中心的な思想の正当化、あるいは、都合の悪い批判封じに、
体よく使われることを問題にしています。

 
========
だが、「価値観」 というものは、そもそも、
たんなる趣味や嗜好だけに関わる問題ではない。
いくら 「価値観の多様性」を擁護する人であっても、
「有色人種を差別する価値観」 や 「意味もなく他人に暴力を振るう価値観」、
あるいは 「価値観の多様性を否定する価値観」まで認めはしないだろう。
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たしかに、この言葉は、他人との対話を拒否して、
自分の誤りを合理化したり、相手の批判を無視し、
封殺するための口実とするのにも役立つ便利な言葉であり、
実際にそのように使われている例も、しばしば見受けられる。
========

こんなことを考えるかたも、わたし以外に、
いらっしゃるんだなと思っていたら、おしまいのところで、
「参考サイト: 「多様な価値観の尊重」 が苦手 」とありました。
わたしのページに、インスパイアされたようです。
こういうことを言うと、嫌がられるのではないかと思っていたので、
好意的に受け止めてくださって、ありがたく受け止めさせていただきます。

ちなみに、「価値観の多様性を否定する価値観」というのは、
そのむかし、選択別姓の反対派たちが、議論になると、
これを認めないのかと、よく吹っかけていたものです。

この「カチカンの多様性」というお題目の濫用問題、
「ひねくれものの部屋」にとどめてないで、
まともに議論する必要も、そのうち出てくるのかもしれないです。

posted by たんぽぽ at 00:16 | Comment(10) | TrackBack(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
どうもです。
今回の件では「価値観の多様性」ということをあからさまに引き合いに出す人はいなかったみたいですが、根底にある発想は似たようなもののように思います。
今回、お玉さんのところへ、いろいろ書き込みましたが、たんぽぽさんの過去ログを見ると、なんだか私の書き込みと似たような言葉をいろいろと見つけてしまいました。
紹介されてるmacskaさんの文章も、以前読んで同じようなことを感じましたよ。
ところで、この前の記事に「雑談日記」のTBが付いてますね。ここって、読む価値ないのじゃなかったですかね。いったいどういう意味なんでしょう?
Posted by かつ at 2008年01月14日 01:37
こんにちは。
わたしのページをご覧くださって、ありがとうございます。

>根底にある発想は似たようなもののように思います。

「批判しないのが寛容だ」という意味のことは、
はっきり言っているかた、たくさんいましたね...

>なんだか私の書き込みと似たような言葉をいろいろと見つけてしまいました。

おお、ずいぶん前から、わたしと同じような問題意識を
お持ちになられていたのですね。

>紹介されてるmacskaさんの文章も、以前読んで同じようなことを感じましたよ。

むかしのエントリも、リンクをたどって、
いろいろとご覧くださったようで、ありがとうございます。
わたしが、ひねくれものと化していく、そのプロセスの一部だったりします。(笑)


>この前の記事に「雑談日記」のTBが付いてますね。

なんでも、「いい加減力」というものを発揮して、
ふたたび見ることにしたそうですよ。
(いつのまにか、リンクリストにも復活しているし。)
Posted by たんぽぽ at 2008年01月14日 11:52
SOBA氏は、ぶいっちゃんの信者になると宣言してますね。
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-772.html#comment7520

頑張れ! S&Bコンビ!!
Posted by kojitaken at 2008年01月14日 13:50
私は「多様な価値観の尊重」を是とし、寛容に重大な価値を見ていますが
不寛容に対して寛容になれないこと自分をどうすればよいか
しばらく悩みました。
結論としては、ドイツの戦う民主制のように
不寛容に対しては寛容でなくて良しとすることにしました。
Posted by さくら at 2008年01月14日 15:16
はじめてお邪魔します。

原則として、多様性は容認され、尊重されるべきものだと思います。ただ、そのことに囚われると極端な相対主義に陥ってしまって、結果なにごとも論じられなくなってしまう。空論になってしまうわけです。

ぼくの周辺に例をとると、ニセ科学の批判を継続的に行っている論者は多かれ少なかれ社会構築主義的な倫理観を持っています。なので、ほとんどの方は議論をメタの高みに持っていくことを好まず、実際の事象に即して議論しようとする傾向があります。
Posted by pooh at 2008年01月14日 20:23
こんにちは。
かつさんの記事をきっかけに、「「多様な価値観の尊重」 が苦手 」を読み返してみました。前は、「ああ、そんなこともあるかなあ」と漠然と読み流しちゃってたのですが、今回の騒動を見た後に読んでみて、たんぽぽさんがなぜあんなに冷静な対応をされていたのか、できていたのか、なんとなく ですが、わかった気がします。そして、表現の自由とヘイト・スピーチの衝突とか、場の空気による圧力の問題とか、私の関心領域でも結びつく話が実はいろいろあったんだとも、気づかされました……今更ながら(汗)。
Posted by 仲@ukiuki at 2008年01月14日 23:30
kojitakenさま

信じるものはみな救われる...足元を。(笑)
(言い古されたジョークで、おそまつだけど。)



さくらさま、いらっしゃいませ。
コメント、どうもありがとうございます。

いろいろ悩まれたそうですが、お答えが見つかってよかったですね。
(じつは、「ひねくれものの部屋」のページは、
「カチカンの多様性」の濫用問題に対する、
わたしなりのお答えだったりします。(笑))

>結論としては、ドイツの戦う民主制のように
>不寛容に対しては寛容でなくて良しとすることにしました。

自分で自分を否定する考えは、はじめから否定していいでしょうね...

でも「不寛容」にも、寛容でなくてはならない、
という教条的な考えは、まだまだ強いんですよね...
それで「多様なカチカンを認めないカチカンを認めないのか!?」
なんて、禅問答みたいな議論を吹っかけられて、立ち往生したり、
あるいは、「闘う民主制」とか、「ナチス禁止法」なんてのが、
理解されないゆえんなんだと思います。



poohさま、いらっしゃいませ。

わたしのブログにお越しくださって、まことにありがとうございます。
(このたびは、わたしのはじめた議論に、
興味を持ってくださって、ありがとうございます。)

わたしは、たぶん、poohさまほどには、見てないと思うけど、
にせ科学批判に関心のあるかたは、極端に走って教条的な
相対主義というのは、たしかにあまりないようですね...

わたしの経験からすると、「カチカンの多様性」の濫用をやるのは、
自己中心的というか、自己保身の強いかたに、多いようです。
こういう人が自分の利益のために、カチカンの多様性とか、
相対性とかを持ち出すのは、言うまでもないと思います。
どんな高尚な思想でも、使う人がだめならだめ、ということかもしれないです。
Posted by たんぽぽ at 2008年01月14日 23:45
仲@ukiukiさま、こんにちは。
レスが遅くなって、ごめんなさいね。

察しがついたみたいですね〜。
そうなのだ、わたしの、ひねくれもののページは、
ウェブでの議論を意識したものだったのだ...

>なぜあんなに冷静な対応をされていたのか、できていたのか、

ああ、いえいえ、かいかぶりですよ。
一種あきらめの感があるので、斜に構えていただけとも言えますし。
とくに相手の対応が予想できたことと、思った以上に相手が、
打たれ弱かったことが、わたしの立ち回りをよくしたんだと思います。

>私の関心領域でも結びつく話が実はいろいろあったんだとも、

よろしければ、いまからでもお書きになられては、いかがでしょう。
(この問題、意識されているかたも、結構いらっしゃるみたいですし。)
Posted by たんぽぽ at 2008年01月15日 12:12
「価値観の多様性の濫用」について書かれたブログを見つけたのでご紹介します。

http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6701940.html
http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6838834.html
http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6840908.html
http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6850094.html

「(否)が水伝で問題にしているのは、「個人の価値観」ではなくて「科学的常識」や「道徳」「教育」の問題。でも、なぜか(肯)は、個人対個人の人間関係の問題だとして考える。」
まさに先日の水伝騒動の図式そのままですね。「個人対個人の人間関係の問題だとして考える」のは水伝受容者だけじゃなくて、自称中立派「つまらないことで騒ぐな・けんかをやめて」の人たちもそうでした。
Posted by 玄倉川 at 2008年02月24日 07:56
>「価値観の多様性の濫用」について書かれたブログを

ご紹介、どうもありがとうございます。
「水からの伝言(12)」で、コメントしてくださった、
Narrさまのウェブログですね。
(コメントの様子で、カチカンの多様性の濫用には、
かなり悩まされているかただなと思ったんだけど、
いつのまにか、エントリを書いていらっしゃったのね...)


>「(否)が水伝で問題にしているのは、「個人の価値観」ではなくて
>「科学的常識」や「道徳」「教育」の問題。
>でも、なぜか(肯)は、個人対個人の人間関係の問題だとして考える。」

「らんきーブログ」の一派が、共感性がどうたらと言っていたの、
わたしは、いまひとつ、ぴんと来なかったんですよ...
でも、ご紹介のエントリを見て、ちょっとわかった気がしました。

>自称中立派「つまらないことで騒ぐな・けんかをやめて」の人たち

そういえば、そうですねえ...

あと、ニケ氏が、「水からの伝言は、危険なにせ科学とわかった」なんて、
きゅうに言ったのも、「個人対個人の人間関係の問題」と、
考えているからかもしれないです。
(自分のまわりに、ニセ科学批判に取り組んでいる人が
多いとわかった、なんて言っていたので。)
Posted by たんぽぽ at 2008年02月24日 13:24

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