「カチカンの多様性、相対性の濫用」についてですが、
こんなエントリもありますよ。
最初の「批判を批判する人」を見ると、わたしのエントリ、
「水からの伝言」「カチカンの多様性の濫用」に触れられています。
http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6701940.html
http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6838834.html
http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6840908.html
http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6850094.html
『漬物倉庫』というブログで、Narrさまというハンドルです。
「水からの伝言(12)」にコメントをくださったのですが、
いつのまにか、エントリを書いていらっしゃりました。
わたしの議論に、興味を持ってくださって、ありがとうございます。
あと、コメント欄で、これらのエントリを教えてくださった、
玄倉川さまも、ありがとうございます。
ここでの問題は、科学的常識とか、事実関係の正誤を、
議論しているときでも、感じかたや好き嫌いの問題と捕らえてしまい、
まちがいを批判すると、自分の人格や存在を否定されたと、
受け止めてしまう、ということでしょうか。
それで、カチカンを楯にして批判を封じようとして、
「カチカンの多様性、相対性の濫用」になると考えられます。
らんきーブログの人たちのいわゆる、「共感性」とはなんなのか、
じつを言うと、わたしは、ぴんとこなかったのでした。
(単なる、身内のかばいあいの、方便としか思えなかった。)
Narrさまのエントリを見て、それがすこしだけ、わかった気がします。
「共感性」の人たちは、議論をなんでも、個人対個人の
人間関係と考えているとも言える、というご指摘もあります。
「けんかはやめて」「つまらないことで騒ぐな」と言っていた、
中立と称していた人たちも、この点で同根とも言えるでしょう。
(玄倉川さま、ご指摘ありがとうございます。)
このあたりに関して、もっとすごいことをする人も、いなくもないです。
(らんきーブログの参加者は、ここまでの人はなかったけれど。)
自分が批判されたときは、「自分のシュカンにすぎないと、
言っているんだから、根拠をあげる必要はない」と言って、
「感じかた」や「カチカンの相違」の問題にしてきます。
ところが、他人の批判に対しては、「キャッカン的根拠がないと
信用できない」なんて言って、事実関係の正誤の問題にして、
やたらと根拠を要求してきます。
自分に都合のいいように、立場を使いわけてくるのですが、
ご本人は、根拠のあるなしで、シュカンとキャッカンを区別していて、
良心的だと信じているから、はなはだやっかいだったりします。
わたしの経験からすると、「カチカンの多様性」を濫用するのは、
自己愛や、自己保身が強いとか、自己中心的とかで、
自分では他人のカチカンが、守れないような人に多いと思います。
それで、自分が他人を尊重するのではなく、
他人に自分を尊重させる方便に、使ってしまうのでしょう。
カチカンや、好き嫌い、感じかたなどの問題に、
すりかえていけば、自己主張はいくらでもできるし、
自分への批判はどんどん拒絶できるので、飽くことなき自己肯定を、
追求する上でも、とても都合がいいのだと思います。
2008年02月25日
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三浦容疑者唐突逮捕であっけらかんと出てきた共謀罪のキーワード。タイミングも臭すぎのマスゴミ祭りでイージス艦衝突撃沈から注目そらしで一石二鳥。(笑)
Excerpt: 今日のお勧め記事は、Saudadeな日々さんの「2008年02月28日 ロス疑惑再燃を喜んでるのって誰? 」そして、そのエントリーについた下記コメントも必読です。 この記事へのコメント 同感です。真..
Weblog: 雑談日記(徒然なるままに、。)
Tracked: 2008-02-28 19:39
新学習指導要領案に関するパブリックコメント募集中だそうです
Excerpt: 「みんななかよく」さまから。 タイトルの通りなんですが、関係各所へのリンクは上記のkuroneko大師兄んトコからどうぞ。 なお、かの八木秀次...
Weblog: Gazing at the Celestial Blue
Tracked: 2008-03-04 19:09
もともと私のエントリは、ニセ科学とは何の関係も無い、テレビゲームの話です。冗談でなく本当に。
私はゲームのファンサイトを細々とやっているんですが、二年ほど前に、ゲームの話をしていて、訪問者の一人に怒られたんですね。しかし、その人が何を言っているのか、私には理解できなかった。
その疑問を解きたくて、議論サイトやら、あちこちを見て回ったわけです。(酷い目に遭いましたけど…)
私のエントリは、これらの経験をまとめてパターン化し、ニセ科学問題に適用したもの。元々は水伝騒動を説明するために考えたのではないんですね。ですからこの問題は、ニセ科学だけに限らない、世の中の変化の問題である、と考えています。
最初は、自分のサイトで気楽にゲームの話をしたくて、怒られた理由を知りたかっただけだったんですが。ニセ科学問題と繋がるとは思わなかった。
ああ、いえいえ。
いくつか続けてエントリを書いてくださって、
こちらこそ、関心を持ってくださって、ありがとうございます。
「カチカンの多様性の濫用」って、最初にこれを書いたときは、
自分だけがこんなことを言うのかなと思ったんだけど、
案外たくさんいるのかもと、思い始めていたりします。
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/hinekure/diverse.html
わたしが、↑を書いたのも、市民活動をやっている人たちと
議論したときのことを、おもに元にしていました。
なので、わたしも、にせ科学批判を意識したのでは、なかったりします。
こういう精神構造や思考構造は、どんな議論でもあるんでしょうね...
にせ科学の信者に、とくに顕著ということなのでしょう...
わたしの場合は、政治活動なので、人間関係の軋轢があって当然だから、
ある程度は無理もないと言えるかもしれないです。
(わたしは、うぶだったので、泣いたり傷付いたりしたけど。)
でも、ゲームのお話とか趣味のことで、そういう議論になるのは、
なんとも理不尽なことですよね...
>その疑問を解きたくて、議論サイトやら、あちこちを見て回ったわけです。
>(酷い目に遭いましたけど…)
やはりというか、経験はかなりおありみたいですね...
(くわしい事情はわからないですが、ご同情いたします。)