2008年04月15日

toujyouka016.jpg 呼ぶ側からの不都合

夫婦別姓というか、非改姓結婚というと、自分が名前を変えると
不都合ということが、取りざたされるのが相場です。
ところが、名前というのは、他人が認識するためでもあるので、
「呼ぶ側にとっての不都合」もありえるはずです。
http://jijitsukon.ameblo.jp/jijitsukon/entry-10087079569.html
http://jijitsukon.ameblo.jp/jijitsukon/entry-10087315796.html

あなたのお近くにも、結婚して苗字が変わったかたがいたけれど、
馴染まなかったり、覚えられなかったりして、
新しい苗字で呼びにくかった、なんてことはないですか?
それまでの認識の連続もあるし、不自然な感じがして、
やりにくいこと、なきにしもあらずだったりします。

 
ところで、この「呼ぶ側にとっての不都合」が、
議論されることは、ほとんどないように思います。
「研究者は論文の検索などで不便になるから、改姓を禁止するべき」
という意見を、聞いたことがあるのですが、
これも個人的考えのレベルであって、実際にそういう動きになった、
というお話は、わたしは聞いたことがないです。

渡辺淳一氏が、『週刊新潮』06年3月30日号で、
お世話になっている編集者のかたが、結婚改姓したため、
外国のホテルで、苦労されることを書いています。
これは、「呼ぶ側からの不都合」という視点ですが、
ほかに例のないめずらしいコラムだと思います。
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/movement/tenth.html

あまり話題にならないのは、自分にとっての不都合に比べて、
呼ぶ側の不都合は、ずっと小さいからだと思います。
そのほかに、さきにリンクしたエントリで述べられている
つぎのようなことが、おもな理由だろうと思います。
========
通商使用が一般化してきたこともあるけれども、
まず姓の変わらない側(=相手に姓を変えさせる側)としての男性は
なかなかそれを指摘しにくいと思われ。

選択的夫婦別姓推進派も、不都合要因としてはそれはあげない筈である。
なぜなら、「姓を変えたい人は変える、変えたくない人は変えない」という、
自由で、相手を尊重する思想がベースになっているから。
========

選択別姓の推進派は、ご存知のように「多様なカチカンの尊重」
というお題目を、まがりなりにも唱えていますから、
「他人さまの都合で苗字を変えるな」なんて、
「理論」に矛盾をきたしかねないことは、言わないのでしょう。


というわけで、渡辺淳一氏とか、さきのエントリを書いた
うがんざきさまのように、利害関係がうすいけれど、関心はあるという、
きわめてかぎられた人たちだけしか、指摘しないのでしょう。
(わたし? わたしも、「利害関係がうすいけれど、
関心がある」から、こうやって、記事にしているんです、はい。)

posted by たんぽぽ at 22:46 | Comment(2) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
取り上げていただいて、大変恐縮でございます〜。
呼ぶ側の不都合を唱えると、「改姓するな」という主張のように見えかねないのですが、こういう視点というのも正直に言ってみようかと。”あれぇ馴染まないな”と常日頃疑問に感じていることなどは結構あるもんですね。
改姓した友人を旧姓もしくは旧姓のあだ名で”頑な”に呼び続けてる例は多いですね。(もともとの呼び名が姓以外に由来する場合は別ですが)。これを頑なと言わずなんと言おうか。別に夫婦別姓志向でも何でもない人たちですよ。
名前って、自身以外の名前にも愛着を感じるんですね。そりゃ、長く慣れ親しんできたものですから。
Posted by うがんざき at 2008年04月16日 02:56
うがんざきさま

いえいえ、こちらこそ、興味深い話題をくださって、
ありがとうございます。

>「改姓するな」という主張のように見えかねない

まさにそれが、市民活動家なんかに、避けられるところなんでしょうね。
でも、そういう視点とか、事実があることは、
わたしは、指摘することだと思います、はい。

>旧姓もしくは旧姓のあだ名で”頑な”に呼び続けてる

そういえば、よくありますね。
(「自身以外の名前にも愛着を感じる」って、そうかもしれないです。
これは、ちょっとした発見かも...)
Posted by たんぽぽ at 2008年04月17日 00:35

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