いましばらく、水葉さまのパーソナリティのことです。
こういうこと言うと、それこそ個人攻撃になるので、
わたしも、自分でお話していて、内心じくじたるものがあるのですが、
こころをオニにして、続けていくことにします。
みなさまも、どうかご容赦いただけたらと思います。
水葉さま(まわりのかたにも言えると思いますが)が、
「思いやりが大事」とか、「人にやさしく」とか言うときは、
「他人が自分たちに対して配慮する」ことが意識されている感じです。
「自分たちが他人に対して配慮する」ことは、
あまり意識されていないように、わたしは思います。
それで、「水からの伝言」のときのように、自分たちが批判されると、
「批判のしかたが悪い」と、相手のせいになるのですが、
自分が「連合赤軍発言」で、jabberwockさまを怒らせ、
傷つけたことには、なかなか気がつかず、
すぐに配慮がまわらないのだろうと思います。
「理性や論理にこだわって仲間割れ」というのも、
譲歩するのは相手から自分たちへ、という考えです。
自分から相手に譲歩するという発想にはならないようで、
「感情や共感にこだわって仲間割れ」しているとも、考えないのでしょう。
それから、水葉さまは、今度のことのように、「不快なこと」や、
「傷付いたこと」があると、理由とか理屈はどうであろうと、
ぐずぐずやっていれば、「なんとかなる」と思っているフシがあります。
まわりの人たちが、かばったり迎合したりしますから、
なおさらそういうものという感覚に、なっているのかもしれないです。
コメント欄で、「水からの伝言の議論はよく知らないが、
連合赤軍を彷佛させる内容だったのだろう」なんて意味のことを、
言っている人もいたりします。[2008-03-19 09:49:22]
知らないのなら、本来ならこんな判断はできないはずです。
このコメントをしたかたは、自分でも、わかってないけれど、
とにかく賛同だけしていると思われます。
そして、自分(たち)に、このように安易な迎合をすることを、
「共感」とか「思いやり」などと言っているのではと思います。
こうしたことは、わたしのような外部の者には、
とうぜんながら理解も共感も、できるはずのないものです。
ところが、水葉さん(たち)は、他者に共感できる人なら、
自分たちへの迎合が当然、という感覚でしょうから、
「たんぽぽは、自分に共感しない、冷たい人だ」となるのだと思います。
ついでながら、「連合赤軍」のとき、まわりの人たちが、
安直に迎合をせず、「それはちがうんじゃない?」と言うとか、
「そういうアナロジーは感心しない」くらいの雰囲気を作っていたなら、
今度のことも、被害はもっと小さかっただろうと思います。
まわりの人たちが迎合したことは、彼女に「謝罪要求」という
「思い込み」を持続させることに、役立ったのもあるのだと思います。
2008年04月23日
この記事へのトラックバック
まあ人それぞれだけれど...
Excerpt: 私だったら放置ブログにしておいて、時々何かの拍子に昔のエントリが参照されてアクセスされたりすると、「昔書いた○○の記事に○件以上のアクセスがあった」などと嫌味な記事だけ書いてまた休むとかそういうパタ..
Weblog: kojitakenの日記
Tracked: 2008-04-27 13:18
性懲りもなく水騒動をまだ正当化しようとしているのですね、あの方々は。(まるで、どこかの確かな野党みたい)
まあ水葉氏は、あの水騒動に限らず、根拠のない思い込みで他人を中傷しようとしたりする方ですから、人間としての程度は知れていましたが…。
結局、いくら偉そうな事を言っていても、間違いは間違いと認める事が出来なければ、どのみち一部の賛同者以外からは、見捨てられるので、ブログを閉鎖した方が本人の為になるでしょうね。
ここで話しているのは「敵の敵は味方」というような単純な話ではないので、共感を求めても無駄ですよ。
http://blog.livedoor.jp/kotagi_2007kt/archives/50966667.html#comments
水葉さまに関しては、精神的に不安定なのもあったらしいし、
デマを本気で信じてもいたみたいなので、
やむをえないところも、多少はあったとは思うけどね...
jabberwockさま、いらっしゃいませ。
URLのご紹介、どうもありがとうございます。
(事情(?)が、とーっても、よくわかりました♪)
彼等(連赤も件のブロガーも)は、自分の弱さや間違いを認められずに、道を誤ったと言うだけの単純な事です。
いまだに身内での庇い合いや、屁理屈付けをやったり、間違いを認める事を謝罪要求と混同して拒絶してしまう所なんて、本当に反応が似てますよよ。
まあ、あったことをなかったこと言い張るほど無様なことをしていませんが。
自分の弱さや間違いを認められずに道を誤る事が、日本の伝統と言うわけでもないでしょう。まあ、官僚機構は、そう言った面を伝統的に受け継いでいるようにも思われますが。
↑の様子だと、やっぱり事情わかってないのかな、わたし...
コメント、ありがとうです。
なるほど、そういうことでしたのね...