「謝罪の義務」と言い出したのは、水葉さんでしたが、
これは、ぶいっちゃんが、1月11エントリで、
「無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても」と、
書いたものを信用したのだと考えられます。
「謝罪要求」のまぼろしを作ったのは、ぶいっちゃんこそ
真の張本人であり、水葉さんは、それにだまされたと見ることもできます。
一部のひとたちには、わたしや、ほかの批判したかたの発言を、
さまざまに「解釈」して、わたし(たち)に、謝罪させたい
意図があったことにしたがるむきも、まだあるようです。
しかし、ぶいっちゃんの1月11日エントリは、
解釈する幅の余地なく、「他人から謝罪を要求された」ことを
意味していますから、これが発端と見るのが妥当でしょう。
水葉さんばかり批判して、ぶいっちゃんのことは、
なにも言わないのは不公平ですから、ぶいっちゃんが、
なぜ「他人から謝罪を強制された」なんて言ったのかを、
わたしなりに、考えてみたいと思います。
ぶいっちゃんは、相当に自己愛が強く、自分が中心になって、
まわりからちやほやされるのが、お好きなようです。
「らんきーブログと仲間たち」という主旨のミクシーのコミュニティを、
他人ではなく、自分が管理者で作ったのを知ったときは、
わたしは、あっけに取られてしまいましたよ。
しかも、自分への批判があると、そのまま受け入れようとせず、
「これはこういうことなんだ」と、すこしでも
自己愛が傷付かないよう、自分の中で変換して納得したがるようです。
彼の場合、よく出てくるものは、「程度が低く、ワンフレーズを
唱えるだけで考察がない」のような批判をされると、
「政治に疎い人間は政治を語るなってことでしょ?」と言うことでしょう。
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-796.html
内容の程度についての批判であって、「書くな」とは、
言っていないことは、あきらかなのですが、
「低レベル」と言われるのは、受け入れられないのでしょう。
それで、「これは、自分には書くなということなんだ」と
すりかえることで、「自分が書くことを禁じるなんて、
批判するほうが悪い」と転嫁して、自己愛を保とうとするのでしょう。
「水からの伝言」も、自分は間違いを認めるべき、
という論調が強まってきたので、いたたまれなくなったのでしょう。
それで、「あいつらが謝罪を強制している」とすりかえて、
「だから謝罪を拒否するのだ」と責任転嫁と、
自己正当化をはかったのだと思います。
ぶいっちゃんの、かかる自己保身のための言いわけを、
水葉さんは、真に受けてしまい、思い込みを増幅させつつ、
「自爆テロ」的なブログ閉鎖にいたったと、言えると思います。
もちろん、ぶいっちゃんが、自分の保身のための言いわけのせいで、
水葉さんが誤解していることを釈明した形跡は、どこにも見当たらないですよ。
ようするに、誤解をさせたまま、傷付き悩む彼女を放置していたわけです。
それ以前に、水葉さんのブログを、おそらく読んではいなかったと思われます。
ぶいっちゃんは、よくよく自己保身的なようで、
「水からの伝言」の議論が波及したブログを、ほとんど見ていないようです。
(ついでながら、これに関して、お玉おばさんのROMだというかたから、
一度抗議があった。[2008.01.14 04:32][2008.01.14 16:00])
水葉さんが、ウェブログを閉鎖したのが、「水からの伝言」が
原因なことくらいは、把握しているようです。
「水葉さんに対して責任がある」と言っていますが、
自分には、なにに対してどういう責任があるのか、くわしいことは、
よく知らないまま(よく知ろうとしないまま)かもしれないです。
2008年04月27日
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ご両人と意見を交わしたことのある私としては、この見方が正しいと思いますね。
(ぶいっちゃんとは「水伝」の件では意見交換はしてませんけど、一時はいやというほど意見交換をしました。一方、水葉さんとは裏ブログ閉鎖直前に一度だけコメントをやりとりしました)
僕はまだHPを一つ潰しただけです。一緒にするなと
言われるのはわかってますが同じ匂いを感じ尊敬しちゃいます。
初めてお邪魔いたします。
玄倉川さんのところでは、不快な思いをさせてしまったようで、申し訳ありませんでした。
ROMでいようと思ったのですが、またまた一つだけ、やっぱり確かめておいた方がいい気がして、ずいぶん迷った末に質問させていただきます。
たんぽぽさんは
>しかし、ぶいっちゃんの1月11日エントリは、解釈する幅の余地なく、「他人から謝罪を要求された」ことを意味していますから、
とお書きになっています。それは彼のエントリーの
>ここから先は一般論ですが、「ものは言い様」と言います。
例え、私が100正しくとも、子供に頭ごなしに言っても素直に聞かないこともある。
無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても反発心だけが残るかもしれません。
子供には子供の理屈があったかもしれませんし、何かを庇ったのかもしれない。
そこが「伝え方」の難しさでしょう。 私には子供はいませんがそう思います。
この『無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても』を、『ぶいっちゃんは「(自分は他人から)謝罪を要求された」と言って(もしくは考えて)いる』と読みとられたということでしょうか。
私は、この部分は(ぶいっちゃんが“ものは言い様”と書いているように)「指摘の仕方」について言っていると受け取りました。ああいった流れの中では誤読を招きかねない危険性もあるとは思いますが、よく読めば「謝罪を求められた」と言っているとは読みとりにくいです。
私の読み方は外れているでしょうか?
あるいは、もしも上記以外の部分で該当するとお考えの発言があるのでしたら、教えていただけませんか。
「ぶいっちゃんと水葉さんが共同で作った」よりは、
「水葉さんはむしろだまされた」のほうが、事実に近いのでは、
という気が、わたしもしています。
じつは、わたしも、ご両人と意見をかわしたことがありまして...
水葉さんとは、数回程度だけど、ブログにコメントしたことがあります。
(なので、ちょっとだけ、どんなかたかわかっているつもり...)
>水葉さんとは裏ブログ閉鎖直前に一度だけコメントをやりとりしました
このコメントは、わたしも見ていました。
おぼろげながら、内容を覚えていますよ。
barracudaさま、いらっしゃいませ
そういうのは、わたしは、偉いとは思わないなあ...
それに、わたしひとりが、閉鎖の原因とは言えないと思います。
それから「3つ」って、どこなの...?(ふたつまではわかるけど。)
玄倉川さまのところでは、どうもです。
(あちらは、わたしのところ以上に、紛糾したようで、
ついていけなくなって、流してしまったのだ。)
>「指摘の仕方」について言っていると受け取りました。
それは、わたし(たち)批判した側の、
「指摘の仕方」のことを、言っていると考えられるものですが、
それが、「無理強いして「わかったか!謝れ!」」という
主旨のことを言っていると、書いているのだと思います。
玄倉川さまのところだけど、こちらに書きますね。
「「要求」ではなく「状況認識」」
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/90d7eb67f42721f0c34fbea8aa259509
|それをたんぽぽさんは「謝罪がないという事実」
|「たんぽぽこそ最大の被害者ですから」と説明しておられました。
|言葉として(「誤解の解消」等ではなく)「謝罪がない」「被害者」を使われたので、
ご指摘の、「謝罪がないという事実」、「最大の被害者」は、
ぶいっちゃんが、1月11日エントリを書いたのを見て、
「この人は謝罪を拒否するつもりだな」と思ったので、そう言ったんです。
わたしとしては、事実を述べているだけで、
「しかるべき」のような「カチカン」は含ませないつもりです。
ついでに、ぶいっちゃんが、1月11日エントリを書いたときは、
存在しなかったもので、そのときは「感じる」こともできないものですよ。
それらを見て、ぶいっちゃんが「自分は謝罪を要求された」と
「感じる」ことなど、ありえないはずです。
コメント欄で議論を交わすことが苦手なので、
自分のサイトに自分の感じたこと、考えたことを書いてみました。
もし、読んでいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
お答えありがとうございます。
>それは、わたし(たち)批判した側の、
「指摘の仕方」のことを、言っていると考えられるものですが、
はい。おっしゃるとおりだと思います。
>それが、「無理強いして「わかったか!謝れ!」」という
主旨のことを言っていると、書いているのだと思います。
ここですね。
たんぽぽさんのように読むことも出来そうですが、単に「指摘の仕方に反発を感じた」と言いたかっただけかも知れません。「わかったか!謝れ!」は悪い指摘の仕方の例として出ていますが、「謝罪を要求された」と書いてはいないので、「解釈する幅の余地なく」とまでは言えないと思うのです。
>ご指摘の、「謝罪がないという事実」、「最大の被害者」は、
(中略)
ぶいっちゃんが、1月11日エントリを書いたときは、
存在しなかったもので、そのときは「感じる」こともできないものですよ。
それらを見て、ぶいっちゃんが「自分は謝罪を要求された」と
「感じる」ことなど、ありえないはずです。
おっしゃるとおりです。逆に言えば、だからこの言葉(わかったか!謝れ!)を「ぶいっちゃんはたんぽぽさんから謝罪を求められたと思っている」証拠と受け取るのも、違うのではないかと思います。
長くなって申し訳ないのですが、ぶいっちゃんの1月11日エントリーの最初から2段落目の部分を引用すると
>今回の問題はおそらく私のブログを見てくださるほとんどの方々は、リンク引用して
頂いた先方様と同じ考えだと思っています。私の事を思ってコメントくださる方々の
ほとんども水の話については先方様の意見に異論は無いと思います。
それだけに今回は皆さんに、なんだか要らぬ気苦労させてしまったなぁと思っています。
私にはそのつもりは無くとも、「そう読めた」と言われればしょうがない事ですから。
そして、私の対応がよかったかというと、そこは胸をはれませんね。反省してます。
やはり人間ですから、ムキにもなったし、「コメントで教えてくださればよかったのに」
とか、該当記事のコメンター(ココロさん)の事まで書かなくても・・とかで、
腹が立った事で、普段の私らしからぬ、不誠実な対応もあったかと思います。
そういった意味で、不快な思いをされた全ての方々に、深くお詫び申し上げます。
ここで彼は、たんぽぽさんのことを「リンク引用して頂いた先方様」と表現しています。たんぽぽさんの指摘が正しいこと、自分の記事の書き方が不適切だったこと、自分の対応がまずかったこと、そういう対応をしてしまった理由等々を釈明していますね。「謝罪になってない」と言う人もいましたが、私は彼の精一杯のお詫びと受け取りました。そして、「わかったか!謝れ!」は「悪例の例示」だと考えたのです。
私は、彼は自分の非を(彼なりに)認め、自主的にこのエントリーを書いたと思います。まず自分の非を認めて詫びた上で、技術論として指摘の仕方について述べた。ところが、「下手な指摘の仕方」として示した悪例が、別の受け取め方をされた。
書き方が悪かったかもしれません。選んだ言葉や表現方法も、誤解のもとだったかも知れません。ただ、彼の意図は(それまで私がらんきーブログを読んで感じた、彼の人柄のイメージから思うに)単なる例示だったのではないかと。
文字だけの対話の難しさを感じます。
2月10日コメント欄
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-785.html#comment_head%3Cbr%3E
で
----------------------------------------------
らんきーブログさんは、一部のリベラルブログから、叩かれましたよね。
「水への伝言」に関わる些細なミスを口実にして、大騒ぎ・・。
あいつら本当にしつこい。
橋下を一斉に応援しだす右派の上位政治ブログと同様な、なにか「鉄の結束」じみたものを感じました。
「右派の上位政治ブログ」は間違いなくランキングが操作されていますね。橋下をそろって応援したことから考えると、上意下達の結社的なグループが作られていると考えています。
彼らのリベラルとは、結局上品な「国際的な」ファッションで、ファッションを侵害するブログは嫌、という感じなんでしょうか。にしても、あの結束は右派グループに似ています。
一ブログをここまでしつこく叩くとは・・。
2008.02.10 19:10 | ねこ #mQop/nM. [ 編集 ]
----------------------------------------------
というコメント者に
----------------------------------------------
ねこさん
分析が鋭いですね。 私も当事者ながら(笑)そのような部分を感じます。
アレ以来、一連の書き物には、ほとんど目もくれていませんので事情はわかりませんが、俗にいう「本当の意味での賢い人たち」(主に読者層の方に多いと思っています)には、そこら辺はわかっているんじゃないかと思っています。
何が正しいとか、正しくないとは別としてですが・・・。
私自身の事を、自分でどうこういうつもりはありませんが、仮に私を第三者と見てもちょっと異様でしたからね(笑) 何かが邪魔なのでしょう、おそらく。
しかし、ブログ界の片隅の小さなコップの中の出来事なんて、ほとんど意味を為さないものではないかとも思う部分もあります。またそう思いたいもんです。
色分けみたいなものは、普通に暮らしている庶民には関係ないことです。
今よりも、少しでもマシな世界になればいいと普通の人は皆それだけを願っているのだと思いますよ。 ただそれだけのことなのだと思います。
2008.02.10 22:40 | ぶいっちゃん #GUniAnuw [ 編集 ]
--------------------------------------------------
と、答えているのは? どう解釈しますか?
どうしてあなたは(だけではなく)、言葉の裏を二重三重にはがさなくては見えないような「真意」を探り当ててまで、ぶいっちゃんの良心とたんぽぽさんの間違いを指摘しようとしているのですか? その意図を是非お聞かせ願いたい。
コメントありがとうございます。
エントリを拝見しましたが、残念ながら、
わたしには、おっしゃることがよくわからないです。
http://lovenews.exblog.jp/8492895/
「ラベルを使ったレッテル貼り」は、なんのことでしょうか?
たとえば、例示されている「リベラル」は、
水葉さまが、自分でそうおっしゃったことです。
(そして、批判側の玄倉川さまが、「リベラルという自己規定は妥当か?」と
その「ラベル」に対して、疑問を呈していますが?)
「人との違いを容認する寛容さ」というのも、
「水からの伝言」の議論は、そういう図式にはなってないと思いますよ。
これは、ぶいっちゃんが、批判を受け入れたくないので開き直り、
批判したわたしのせいにして、排撃を試みたものです。
そして最初は、ぶいっちゃんが有利だったけれど、
ほどなくして形成が逆転して、収拾がつかなくなったものです。
「違うから、分かり合えない」でしたら、批判を排除して、
耳をふさいだ、ぶいっちゃんとその賛同者に、当てはまると思います。
>わかったか!謝れ!」は悪い指摘の仕方の例として出ていますが、
>「謝罪を要求された」と書いてはいないので、
「謝れ」は命令形ですから、あきらかに要求ですよ。
(なんでしたら、「謝罪の命令」と言い換えてもいいが...)
>「ぶいっちゃんはたんぽぽさんから謝罪を求められたと思っている」
>証拠と受け取るのも、違うのではないかと思います。
1月11日エントリは、「水からの伝言」を意識して
書かれたのですから、当該箇所は、自分を批判した人たちから、
謝罪の要求(命令)があったと言っていると、考えるのが自然ですよ。
(ようするに、わたしのことばで「感じた」のではなく、
ぶいっちゃんは、自分で勝手にそう決め込んだ、ということです。)
>たんぽぽさんのことを「リンク引用して頂いた先方様」
>と表現しています。たんぽぽさんの指摘が正しいこと、
ぶいっちゃんは、「水からの伝言」が、非科学的なのは認めたけれど、
それはどうでもよく、「水からの伝言」が、
いいお話であることにかわりはない、という認識のようですね。
にせものと知りつつ、「いいものだ」と礼讃するようですが、
わたしの意見は、そういう偽善的なものと「同じ考え」ではないですよ。
>私は、彼は自分の非を(彼なりに)認め、自主的にこのエントリーを書いたと思います。
>まず自分の非を認めて詫びた上で、技術論として指摘の仕方について述べた。
これも、「水からの伝言」を、意識していると思いますが、
ぶいっちゃんは、こんなことを書いていますよ。
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-819.html
|私は気づいた時点で訂正したり、自分が成長した時点で
|考えが変わることは「アリ」だと思っている。
|ブログ=日記 だと思う部分が強いから。
|しかし、そうは思わない方々も多々いらっしゃる。
|根底の部分から違うわけである。
ぶいっちゃんは、「どうでもよいことではない」など、
指摘されたことの全部を訂正していないです。
それゆえに、批判追求が続くのですが、それを受け入れたくないので、
「たんぽぽたちは、気付いた時点で訂正したり、
成長して考えがかわることを、認めないから、
批判追求を続けるのだ」と、すりかえているのだと思います。
こんなのを見ていると、「不快な思いをされた全ての方々」の中に、
わたしは、入っていないようですね。
たんぽぽさんのコメント欄にて失礼します。
申し訳ないのですが、jabberwockさんが持ち出された2月10日の記事は、既に事態が変化してしまった後のものですね。
私は、ぶいっちゃんが1月11日のエントリーで示した態度をしばらくの間貫けば、もし誤読があったとしても徐々に修正されていったのではないかと思っています。仮に内心まだ言いたいことがあっても、ぐっとおさえた方が良かった。ところが、彼は1月13日にいささか微妙なエントリーを上げました。さらに、読者がコメント欄でいろいろと応援したり慰めたりしてくれるのに対応し、それを見てたんぽぽさんの不信感が増し、事態が少しずつ変わり、「謝罪要求」の一人歩きが始まっていったのではないかと。他の方も指摘されていますが、「外野」の影響も大きかったと思います(特定の名前を挙げるのは控えます)。
その意味では、彼の1月11日と13日のエントリーあたりが分岐点だったのだろうなぁと。
私は、「わかったか!謝れ!」を「間違いの指摘の仕方における“悪例”の例示」と読みとるのが「言葉の裏を二重三重にはがさなくては見えない」ほどのものだとは思っておりません。ぶいっちゃん自身が「ものは言い様」と書いていますので、「謝罪要求」と取る方が裏読みのように感じます。
あと、(玄倉川さんのところでも申し上げましたが)私は、誰でも言葉の選び方を間違えることはあるので、できる限りその言葉の源になっている「思い」を見誤らないようにしたい、と考えているだけです。
私は、水伝問題をリアルタイムで追ってはいましたが、ずっとROMでした。玄倉川さんの水葉さん批判、たんぽぽさんのぶいっちゃん批判のエントリーが上がらなければ、ずっとROMを通したと思います。こう申し上げては何ですが、現在のように大勢が決してしまってから、今さら「ぶいっちゃんの良心とたんぽぽさんの間違いを指摘しようと」しても、ほとんど意味がないだろうと思います。歴史に“もし”を求めても無意味なように。
それでも、これらのエントリーが上げられたのを見て、何かしらの教訓を付け加えることができないだろうかと思って、コメントしてみました。別のエントリーでLightさんも書いておられますが、「もう閉じようとしているブログ主の、人格上の話までが、繰り返し繰り返し、あちこちで言及され続けるのを見て」、私もいたたまれなくなったのかも知れません。
でも、「次々とあらわれる“中立のつもりで説教をたれる”人たち」の中に、私も入ってしまうのかも知れませんね。
もはや何者も「付け加える」ことは出来ないようですので、私への新たなご質問がなければROMに戻ります。
ありがとうございました。
「謝れ!」が命令形なのは、「子供に頭ごなしに言っても」と、大人が子供に言うシーンを想定しているからだと私は思ったのですが・・・・。
>1月11日エントリは、「水からの伝言」を意識して
書かれたのですから、当該箇所は、自分を批判した人たちから、
謝罪の要求(命令)があったと言っていると、考えるのが自然ですよ。
確かに、1月11日のエントリーは「水からの伝言」を意識して書かれています。だから当該箇所は、自分を批判した人たちに対して「指摘の仕方に反発を感じた」と言っているとは思います。
いずれにしても、(jabberwockさんにも申し上げましたが)もはや何者も「付け加える」ことは出来ないようですので、ROMに戻ります。
お騒がせして済みませんでした。それと、誠実な対応をありがとうございました。
1.好意的に取り上げた『水伝』は科学的にはまったくダメダメのシロモノである
2.『いい言葉を使いましょう』などという道徳的命題の根拠として科学的事実を持ってくるのはオーマチガイ
3.2.の裏返しとして科学的な事実を根拠に特定のイデオロギーを押し付けるのももっとオーマチガイ
この他にいわゆる『平和・リベラル系』から追加された問題点としてはvanacoral氏の指摘が代表的だ
http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080106
4.疑似科学に寛容であることは運動の社会的信用を失わせる(脚引っ張る馬鹿の『味方』はいらねーよ)
しかるにぶいっちゃん氏は該エントリー冒頭の『ずばり、「水からの伝言」を、信じていらっしゃるエントリですよ。』というたんぽぽさんらしからぬ(?)
煽り文句に脊髄反射して『この記事のことを陰謀論とか偽科学を信じるバカだと書いている人がいます。』などというまるきりアサッテの反応をして居直り、とは言え上記1.については本人も周囲も反論のしようが無いので、ひたすら『指摘の仕方』やら俺様ルールの作法やらをブツブツ言うより無いという誠に不毛な論議になったわけだ
その意味じゃ一連のこの騒ぎが『本質的にニセ科学批判と関係が無い』空疎なものとなった責任もあげてぶいっちゃん氏とその周囲にあると考える
んで、その後の経過を見るとでぶいっちゃん氏は1.については周囲のアドヴァイスを容れてエントリーを修正したものの2.及び3.については書かれたものを読む限り反省どころか検討した跡さえ今に至るもうかがわれない(4.については何だか反論めいたものを遠吠えしているようである)
2.3.4.の批判点を中心として科学的根拠の無いものを『いい話』として流布することがなぜよろしくないか?又、何故、『いい話』として受け取ってしまうのか?本人にしろ周囲にしろそこを論議をしてこそ実のあるものになったろうし、また俺たち周囲が学ぶものも多かったろうに
何故水伝が受け入れられやすいかについてはたんぽぽさんのユングに関しての師匠格である地下に眠るM氏が面白い関連エントリーを揚げているので紹介する(もっとも後半は疑似科学を離れて壮大というかハッタリ効きすぎの言語論になっちゃってるけど、よく読むと割りと常識的な内容である)
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080424/1208965108
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080428
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080429/1209444060
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080430/1209487207
>>玄倉川さんの水葉さん批判、たんぽぽさんのぶいっちゃん批判
・水葉さんのエントリーがあったから→玄倉川さんの批判もありました。
・水葉さんのエントリーがあったから→たんぽぽさんのぶいっちゃん批判もありました。
・「ぶいっちゃんがたんぽぽさんにも謝罪の意を示した」という主旨のコメントをMEDAMAさんがしたから→「全然反省なんてしていない」という例示として私はコメントしました。
それらがなかったら、とっくに収まっていた騒ぎですよ。
>>人格上の話までが、繰り返し繰り返し
たとえば、
あなたはニケ氏のブログをご存知ですか?
http://nikemild.exblog.jp/
そこで、どれほど「人格上の話」が繰り返し繰り返しなされているか、ぜひその目で確認してください。(たんぽぽさんのハンドルをどのようにもじっているかを、ぜひ!)そして、いまなおぶいっちゃんのブログのコメント欄では、お二人は友好を確認し合っています。
そのような現実を見ながら(または無視して)それでもたんぽぽさんに「一方的な寛容」を求めるあなたが「中立で良心的なコメント者」として扱ってほしがっているあなたの姿は、ずいぶん虫がいい話に思えます。
jabberwock さま
ニケさんという方のブログを拝見してきました。
人は、失敗や反省をしながら、少しずつ変わっていくし、成長していくのではないでしょうか。
少なくとも私には、ニケさんは最後に、反省や謝罪の心を表しているように思えました。
「名前を失礼な形で表現したことを詫びよう。すまなかった。喧嘩の最中とはいえ本当に失礼なことをした。心から謝罪いたします。」
「○○さん、お別れを言おう。そして礼も言おう。いい忘れないうちに肝心なことも言おう。数々の非礼を詫びる。すみませんでした。と謝罪いたします。」
このように書かれている言葉を、素直に受け止めることはできませんか?
以前どのような失敗があったとしても、大事なのは今、その人がどのように感じ、どのように行動するかではありませんか?
完全完璧な人間などいない。間違いをしない人間などいない。
だから、他人の誤りをみつけたからといって勝ち誇ってはいけないし、自分の失敗を過度に悔やむのもいけない。
反省すべきところは反省して、お互いに許し合っていければ、考え方に違いがあっても、不毛な論争にピリオドを打てるのではないでしょうか。
長文、失礼いたしました。
ニケ氏は謝っていますね。見落としていました。
(私の上のコメントは、その一つ前のエントリー
http://nikemild.exblog.jp/7786343/
までの印象と思ってください)
私のニケ氏への印象は、確かにこれで(まだ全面的ではないですが)変化しました。てんとう虫さんには、ありがとう、そして最新エントリーに気づかなかったことは不注意でした。ニケ氏にも、お詫びします。
その上で、
ニケ氏は同じエントリーのなかで、水伝を批判する人々について。
>>「悪いといわれている話らしいよ〜、あの人馬鹿だねえ〜、叩いてやろうかな?」程度のことで公開のネットの世界でやるものではないと思っている。
ということも言っています。
また、kojitakenさんに対して、
>>私の心の中にある「排除」の部分であるから人様に言えた話ではないが、これだけは言わせてもらう。友を選んでください。
とも言っている。これを読むと、少なくとも「たんぽぽさんには」謝りたくない気がするんだけれど。(たんぽぽさんの名前を明言して、彼が謝罪の意思を示したら、そのときにはもちろん、これも撤回しますよ)
あらためて、てんとう虫さんありがとうございます。
ニケ氏はじめ誤解を与えた皆さんに対しては、ごめんなさい。
ただ、
ぶいっちゃん氏に関しては、ニケ氏が『反省』する前の、たんぽぽさんたちを「失礼な形で表現」していた段階でニケ氏を一言も諫めることなく、友好を確認していたわけだから、こちらは、なんら上の意見を修正する必要ないでしょう。
>>だから、他人の誤りをみつけたからといって勝ち誇ってはいけないし、自分の失敗を過度に悔やむのもいけない。
>>反省すべきところは反省して、お互いに許し合っていければ、考え方に違いがあっても、不毛な論争にピリオドを打てるのではないでしょうか。
・・・は、あなたの人生観の話ですよね。ご立派だと思うし、文句をつけるつもりもないですが、とりあえず見ず知らずの他人に押しつける話ではないですよね。ましてや他人のブログのコメント欄で、自分の正体も明かさずに、その言動についてとやかく言うほど、あなたはお偉い方なのですね。ぜひ、そのバックグラウンドをお聞かせ願いたいものです。
>あなたの人生観の話ですよね
あの部分は私自身が
「こうありたい。このように行動したい」
と日頃思っていることを書きました。
人生観…というほど偉そうなことではありませんが
確かに、人様のブログで自分の人生観をいきなり述べるのは
大変押し付けがましかったと、反省しています。
ご指摘を受けるまで、全く無自覚でした。
申し訳ございません。
たんぽぽさまにも、深くお詫び申し上げます。
>あなたはお偉い方なのですね
「お偉い方」がどのような人をさすのか、
よくわからないですが、私は偉くもないし
立派でもありません。
このように、ただコメントを書くだけでも
失敗ばかり繰り返す未熟な人間で、
ご迷惑ばかりおかけしているのですから、
もちろんよくおわかりのことと思います。
長文にて、失礼しました。
返信いただきましてありがとうございます。
「ラベルを使ったレッテル貼り」について、
たんぽぽ様があげてくださった例に関する原文を読んでいません。
流れがわかりませんので、コメントは差し控えさせていただきます。
私が「ラベルを使ったレッテル貼り」という言葉を使ったのは、
水伝騒動関に関して書かれたブログ記事や、そのコメント欄でみられた
本来、個の存在であるはずの人達をまとめてひとくくりにして、
その特性を決めつけてるような発言に対してです。
例)○○のブログの読者は〜XXなヤツばかり。←このような発言等
「人との違いを容認する寛容さ」については、
新しいエントリー内でも掘り下げたつもりですので、
御一読いただけましたら幸いです。
◆「水からの伝言」騒動に一言Part3【地雷の正体とコミュニケーション】
http://lovenews.exblog.jp/8504719
たんぽぽさんのおっしゃっている【図式】というのは、
たんぽぽさんの考える【図式】であって、
人によっては全く違った【図式】で理解している方もいます。
人の数だけ、違った解釈=図式があるということを受け入れることも
「人との違いを容認する寛容さ」であると言えると思います。
はじめまして
はっきり書いた方が良いと思うので、多少表現がきつめかもしれません。割り引いて受け取ってください。
>例)○○のブログの読者は〜XXなヤツばかり。←このような発言等
具体的に例示してください。抽象的な形では検証できません。
>人の数だけ、違った解釈=図式があるということを受け入れることも
>「人との違いを容認する寛容さ」であると言えると思います。
たんぽぽさんの説明を拒否したのは、ぶいっちゃんとニケの両氏です。他人の図式を最初に拒否したのは彼らなのです。
なぜ、上の言葉を両氏に言わなかったのですか?あなたは、逆にぶいっちゃんさんは寛容だとのコメントを残しておられます。非常に不思議です。批判を受け入れられずに感情的に他人を拒否する人間のどこが寛容なのですか?
今は、ぶいっちゃんやニケなどの諸氏はどうでもいいのです。あなたのような方が今は関心の中心なのです。多様な価値観の尊重や、寛容などのご託を振りかざして、明らかに間違ったものまで、認容してしまう人が、議論の中心になっているのです(まあ、両氏も水伝に関してはそうなのですが)。
そして、それが水伝などの似非科学でも大きな問題なのです。
ぶいっちゃんさんの子供のしかり方に関する言葉は、私もMEDAMAさんと同様の見方をしています。教え諭しがうまくいかない典型例としてあげただけだと思います。逆に言えば、「うまく教え諭してくなかった方も悪い」と責任転嫁しているのだと思います。
それから玄倉川さんのところにコメントしましたが、水葉さんは、1月の半ばの時点で「第三者が謝罪要求する」と書いておられますから、その時点では、たんぽぽさんが謝罪要求しているという認識はしていなかっただろうというのが私の見方です。
したがって、謝罪要求という誤認から始まるこのエントリには強い違和感を感じます。というより、そこから始めるのは間違っていると思います。
とはいえ、ぶいっちゃんさんが責任転嫁や自己保身しようとしたという点については同意します。ただ、その点は、謝罪要求誤認とは関係ないとおもいます。
まず、事実として
「たんぽぽさんが謝罪要求をしたか」ということに関しては、玄倉川さんの綿密な調査により、すでに完全決着しています。「していない」んです。
そして、これも確認しておきたいのですが、
どうしていま「謝罪要求」ということが議論されるようになったか、と、いえば、これもご存知の通り、4月になっても水葉さんが「たんぽぽさんが謝罪要求して回った」というようなことを主張していたからですよね。
ということで「していない」ことがはっきりした以上、この問題は終わるべきだと思うんですよ。
何人かの方が言われた
「たんぽぽさんは謝罪要求していないかもしれないけれど、見方によってはそう見えても不思議なかった」
という論点に関して、仮にそれが正しかった(私は賛同しませんが)としても、それはたんぽぽさんの責任ではありません。ましてや、たんぽぽさんに問い質してどうなることではない。何百回聞いても「私はしていない」という以外に返事のしようがありません。
(何人かの方に「ご自分のブログで語ってください」と言ったのは、そういう意味です。純粋に言葉の問題としてご自分のブログで思考を深めることは悪いことでないと思います)
同様にBaruさんが言われる
>>ぶいっちゃんさんの子供のしかり方に関する言葉は、私もMEDAMAさんと同様の見方をしています。教え諭しがうまくいかない典型例としてあげただけだと思います
>>水葉さんは、1月の半ばの時点で「第三者が謝罪要求する」と書いておられますから、その時点では、たんぽぽさんが謝罪要求しているという認識はしていなかっただろうというのが私の見方です。
というのも、議論の本質ではなく、枝葉末節に位置するものだと思います。仮に、Baruさんのご意見通りだったとしても、たんぽぽさんが「謝罪要求した」ということにはならないし、水葉さんが4月になって「たんぽぽさんが謝罪要求して回った」と主張したことの問題が消滅するわけではないからです。
つまり、
Baruさんは正しいかも知れないけれど、その必要を現時点でをたんぽぽさんにするのは、どうなんだろう、ということです。
そして、
どうして、こういうことをいまさら言うのか、というと。
現時点で
騒動が再燃した(4)のコメント欄は74
騒動が再燃した(7) 〃 21
に達しています。傍目には、炎上していると思っても不思議のない状態です。
そして、そのコメント欄の中身は上に書いたような「たんぽぽさんには責任のない」「たんぽぽさんに質問することに意味がない」「本質に関わりない枝葉末節な」質問と回答で埋めつくされているわけです。そして、その質問に1人で全部答えないと、それが新たな批判材料になる。ブログを運営する立場にとって、これは相当にヘビーなことですよね。
たんぽぽさんは公人でもなんでもありません。めちゃなバッシングを受けた一私人です。そして、ここまで問題にされるほど「重要な」ルール違反や反モラル行為は何もしていません。ずいぶんひどい話では、ないですか? 個々の方は良心的で、素朴な疑問を投げかけているのだろうとは思うけど、数が重なると、理不尽な圧力になることもある・・・ということだと思います。
ということなので、Baruさんにも(純粋に事実探求の目的でやっておられるのは、わかりますが)「コメント欄でご意見を述べる」というのはここまでにして、ご自分でブログをつくられて、ご自由に主張を展開することを、このブログを大切にしたい者として、お願いしたいと思うわけです。
Baruさんへ
これは、私個人の考えなのですが…
ブログ主以外の第三者同士がブログ主の庭とも言えるコメント欄で議論を展開するのは、
度が過ぎると迷惑な行為になってしまうのではないかと思うのです。
たんぽぽさんのブログではコメントをされた方同士が、
コメント欄で議論するような場面が多く見受けられますが、
jabberwockさんが気づかわれているように、
私もたんぽぽさんの負担になるような行為はしたくありません。
もちろん、コメントの内容次第では、コメントする行為そのものが
たんぽぽさんに負担をかけてしまっている可能性もゼロではないと思いますが、、
コメントの扱い方に関しては、たんぽぽさんに選択権(無視・削除・返信)があるので、
たんぽぽさんがコメントをどう処理されようと、それは自由だと私は考えております。
以上の理由から、Baruさんからいただいた質問・コメントにはここでは返信いたしません。
もし、Baruさんが返信を希望されるのでしたら、
私のブログのコメント欄に質問や意見をご記入ください。
もしくは、Baruさん自身の庭(ブログ等)で考えを述べたうえで、
その場所(URL)を教えていただければと思います。よろしくお願いいたします。
ただし、返信するかしないかは私に選択権があると考えますので、
内容によっては返信しない場合もあることをご了承の上で、お願いいたします。
たんぽぽさんへ
たんぽぽさんのコメント欄にて、
他者への返信を長々と書いてしまったことをお許しください。
私の「2008年04月30日 23:07」のコメントの最後の5行で
誤解を招くような書き方をしてしまったかも…?と思ったので、
ちょっとだけ補足させていただきます。
この5行は、たんぽぽさんの言う「図式」を否定するために書いたのではありませんし、
違った「図式」を正しいと押し付けたくて書いたわけでもありません。
あくまでも人の数だけ違う「図式」がありますよね?という確認であって、
たんぽぽさん、並びにたんぽぽさんの言う図式に同意されている方達を指して
「人との違いを容認する寛容さがない」としているわけではありません。
文章力が未熟で、誤解を与えてしまうような文章になってしまったこと、
そして、不快な思いをさせてしまった全ての方にお詫び申し上げます。
さて、jabberwockさんのコメントには全面的に不同意です。
まず、たんぽぽさんが謝罪要求していないという点については、今の時点でどなたも異を唱えていないと思います。もちろん私もです。というか、水葉さんのブログで最初に誤認であることを指摘し、質問したのは私だと思います。その点を私に念押しされる意図は何でしょうか?
>ましてや、たんぽぽさんに問い質してどうなることではない。何百回聞いても「私はしていない」という以外に返事のしようがありません。
私は問いただしておりませんし、そんなところを論点にはしておりません。
私の批判の第一点は、ぶいっちゃんさんの言葉の認識が誤っているというもので、これはこのエントリの前半分を占め、かつ後半の論拠となっている部分です。エントリの重要部分ですから、枝葉ではありません。
批判の第二点は、その言葉の解釈をぶいっちゃんさんへの批判として使うことです。また、このエントリはぶいっちゃんさんの言葉への認識が起点になっていますから、その認識が間違っていたら、このエントリで展開されている論は間違いですし、責任転嫁や自己保身という結構重い批判を展開するのに曖昧な推測を元にするという行為自体がおかしいと思います。私には、誤認に基づいて批判を行った水葉さんの行為に近いと思えます。
したがって、枝葉末節ではありません。
さて、現在の状況は炎上ではなく、単にコメントの総数が多いだけと認識しています。ただ、コメントが多くてブログ主が大変という意味では同意しますが、一応コメントの嵐がほぼ終了したと判断した上で、コメントしております。jabberwockさんからは玄倉川さんのところでコメントをいただきましたが、同じ理由で挨拶と応答を控えさせていただきました。そのときは応答の内容がまさに枝葉末節でしたから。その際は失礼しました。
最後に、
>たんぽぽさんは公人でもなんでもありません。めちゃなバッシングを受けた一私人です。そして、ここまで問題にされるほど「重要な」ルール違反や反モラル行為は何もしていません。ずいぶんひどい話では、ないですか? 個々の方は良心的で、素朴な疑問を投げかけているのだろうとは思うけど、数が重なると、理不尽な圧力になることもある・・・ということだと思います。<
この部分を、私に投げかける意図が分かりません。たんぽぽさんに対して異論は一切言うなという意味にしかとれません。教えてください。
気が向けば、ブログを訪問させていただきます。
ただ、次の点は指摘させていただきます。
>たんぽぽさん、並びにたんぽぽさんの言う図式に同意されている方達を指して
「人との違いを容認する寛容さがない」としているわけではありません。<
私は、NewsOLさんが寛容さが無い・足りないと認識していると思っていましたし、今でも2008年04月30日 23:07コメントはそれ以外の解釈はないと思います。そういう意図がないというだけではだめで、正確な意図を説明しないと、多くの方は私と同様の解釈をすると思いますよ。
>>さて、jabberwockさんのコメントには全面的に不同意です。
ということなら、私からは何も申し上げることはありません。
あなたの正体もバレバレになったということです。
私は「趣味の議論屋と議論する趣味」はありませんので、あとはたんぽぽさんにお任せするとしましょう。
>「子供に頭ごなしに言っても」と、大人が子供に言うシーンを想定しているからだと
「わたし(たち)が自分を批判するのは、オトナが子どもに
言うような物言いだ」と、ぶいっちゃんは、思ったのでしょうね。
(批判側は、自分をそれだけばかにしていると、
印象づけるための、伏線だったのかもしれないです。)
>ぶいっちゃんが1月11日のエントリーで示した態度
>1月13日にいささか微妙なエントリーを上げました
>彼の1月11日と13日のエントリーあたりが
このエントリでも書いたように、自己愛が強く、
都合の悪いことを、あたまの中ですりかえて納得する人ですからね...
1月11日エントリは、「水からの伝言」の議論でも、
おなじ自己正当化を計ったと見るのが、自然で無理がないと思います。
1月13日エントリは、「気楽に書いてどこが悪い?」という、
べつの角度からの「開き直り」です。
ほかのブログも、すこし見ているようですが、
それらに対しても、ひたすら自己正当化の弁ばかりです。
(1月11日ですでに、開きなおりの自己正当化、という態度は固まっていて、
13日であらためて、それを強化させたのだと思います。)
>私は、「わかったか!謝れ!」を
>「間違いの指摘の仕方における“悪例”の例示」と
>読みとるのが「言葉の裏を二重三重にはがさなくては見えない」
>ほどのものだとは思っておりません。
1月11日エントリで、水葉さんは、「謝罪の義務がある」と
コメントして、そのまま自分のブログで、たんぽぽ(の賛同者たち)は、
ぶいっちゃんたちに謝罪の要求(命令)をしている、
という認識のもと、ご自分のブログを書いていました。
これは、1月11日エントリは、「批判側が謝罪要求をしたと、
ぶいっちゃんが言った」と、らんきー側の人にも、
ふつうに読めるものだ、ということを示していると思います。
>玄倉川さんの水葉さん批判、たんぽぽさんのぶいっちゃん批判の
>エントリーが上がらなければ、ずっとROMを通したと思います。
それは水葉さんが、「連合赤軍」とか言い出したからです。
そんなに、わたし(たち)に批判されるのがいやなら、
「連合赤軍なんて、アナロジーになっていない」と、
あなたが水葉さんを批判して、いさめておけばよかったんだと思います。
>「もう閉じようとしているブログ主の、人格上の話までが、
>繰り返し繰り返し、あちこちで言及され続けるのを見て」
それなら、小学生レベルの人格攻撃をやっている(いた)、
ニケ氏を批判すればよかったと思いますよ。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080422/1208796211
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080417
現状分析としても、とても的確だと思うのですが、
なんだか、まるっきり無視されていますね...
「たんぽぽは、謝罪要求したと感じられた」とか、
「ぶいっちゃんは、謝罪要求されたとは言ってない」とか、
過去エントリを、一生懸命「解釈」して、そういうことにしようと
している人たちは、「疑似科学と社会の関係」なんてな議論には、
ちっとも興味がないもののようですね。
>その意味じゃ一連のこの騒ぎが『本質的にニセ科学批判と関係が無い』
>空疎なものとなった責任もあげてぶいっちゃん氏とその周囲にあると考える
1.については、↑これを否定したくて、「対話の姿勢」がどうのとか、
「謝罪の要求が感じられた」とか言っているのもあるでしょうから、
議論するはずもないでしょうね...
2.-4.の論点に興味を持たないのは、これを問題にすると、
「どうでもいいこと」と言った、ぶいっちゃんの開き直りが、
正当化できなくなるので、触れるわけにいかないんじゃないかな...?
>地下に眠るM氏
このかた、わたしのユングについての、師匠だったのね...(笑)
(わたしは、ユングなんて知らないし、彼ならきっと
くわしいだろうと、期待したのもたしかだけれど、ね...)
ニケ氏は、以前は、わたしと和解したいと言っていて、
そのとき、「たんぽぽには、kojitakenさんという、
悪いともだちがいる」という意味のことを言っていました。
それで、こんどは、「kojitakenさまには、たんぽぽはという
悪いともだちがいる」と取れることを言っているのですね。
>このように書かれている言葉を、素直に受け止めることはできませんか?
あたりまえのことですが、3か月以上も、さんざん攻撃的態度で、
罵詈雑言を繰り返してきた人が、一回あやまったくらいで、
すぐに信用されることは、まずありえないことです。
ましてや上述のように、しばらくすると言うことが、
二転三転するとあっては、なおさら信用されないでしょうね...
おわびの気持ちを信用してほしいのなら、考えがすっかり変わって、
そのあとは一貫していて、信頼に足るのだ、ということをしめすべく、
しばらくは継続して、努力するところだと思いますよ。
>「ラベルを使ったレッテル貼り」について、
>たんぽぽ様があげてくださった例に関する原文を読んでいません。
こちらです。
http://s02.megalodon.jp/2008-0412-2316-51/ameblo.jp/aqualeafree/entry-10080116325.html
http://s01.megalodon.jp/2008-0412-2315-56/ameblo.jp/aqualeafree/entry-10085310260.html
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/e2bb313158a08746de18b1b42981a7a4
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/3d83a7e8b5b11b2e3d878e5eb3f6cb83
>本来、個の存在であるはずの人達をまとめてひとくくりにして、
>その特性を決めつけてるような発言に対してです。
たとえば、どこにありますか?
原文をご紹介ください。
>「人との違いを容認する寛容さ」
前のコメントで、わたしは、ことの経緯がどうだったという、
「事実」をもうしたのであって、「感じかた」とか、「考え」を、
述べたのではないですので、ねんのため、お断わりしますね...
========
これは、ぶいっちゃんが、批判を受け入れたくないので開き直り、
批判したわたしのせいにして、排撃を試みたものです。
そして最初は、ぶいっちゃんが有利だったけれど、
ほどなくして形成が逆転して、収拾がつかなくなったものです。
========[2008年04月29日 22:42]
「事実」はひとつだけで、人の数だけ存在するはずもないものですよ。
事実を無視して、「自分はこう感じたから、こう思いたい」
と言うのでしたら、現実を受け入れない不寛容な態度だと思います。
「寛容」がだいじだというなら、すくなくとも事実に対しては、
極力ありのままを受け入れるよう、ぜひぜひ努力してくださいね。
あと、自分たちへの批判を排除し耳をふさいだ、
ぶいっちゃん(たち)は、異論を受け入れない不寛容な人たちだ、
という主旨のことも、前のコメントでは、
お話したんだけど、これはどうなったのかな...?
ご紹介のエントリに、「伝わらない=自分が悪いところはどこだろう?
と考えることで、コミュニケーションの質は飛躍的に向上していく」と、
ありますので、ぶいっちゃん(たち)に、ぜひご自分の悪いところを
考えていただくよう、おっしゃていただけたらと思います。
http://lovenews.exblog.jp/8504719
>ぶいっちゃんさんの子供のしかり方に関する言葉は
MEDAMAさまへのレスでも書いているけれど、
1月11日エントリを見た、水葉さんは「謝罪の義務がある」と
コメントして、そのまま自分のブログで、たんぽぽ(の賛同者たち)は、
ぶいっちゃんたちに謝罪の要求をしている、
という認識のもと、ご自分のブログを書いていました。
これは、1月11日エントリは、「『批判側が謝罪要求をした』と、
ぶいっちゃんが言った」と、らんきー側の人にも、
ふつうに読めるものだ、ということを示していると思います。
>ぶいっちゃんさんが責任転嫁や自己保身しようとしたという点については同意します。
それなら、1月11日エントリも、「水からの伝言」の批判側にたいして、
おなじことをしたと見るのが、自然でしょう。
(このときだけ、一般論であって、具体的なこととは「関係ない」と、
特別扱いするほうが、不自然だと思います。)
>水葉さんは、1月の半ばの時点で「第三者が謝罪要求する」と書いておられますから
>その時点では、たんぽぽさんが謝罪要求しているという認識はしていなかっただろう
それは、「たんぽぽが要求した」が、
「たんぽぽの賛同者たちが要求した」になるだけでしょう。
ぶいっちゃんや水葉さんにとって、自分たちに謝罪を要求する、
「批判側」の人たちの中に、わたし自身がいてもいなくても、
たいして変わらないと思いますよ。
>どうしていま「謝罪要求」ということが議論されるようになったか、
>と、いえば、これもご存知の通り、4月になっても水葉さんが
>「たんぽぽさんが謝罪要求して回った」というようなことを
>主張していたからですよね。
これについてだけど、わたしには思うところがありまして...
ぶいっちゃんの1月11日エントリを見て、水葉さんが、
「謝罪の義務」とコメント欄で言ったんだけど、
そのあとご自分のブログで、「批判側に謝罪要求をされた」ということを
書いていても、なにも言われなかったんですよね...
「ぶいっちゃんが、『批判側に謝罪要求された』と言った」
ことに対して、らんきーブログサイドの人たちも、
ずっと「疑問」も「不満」もなかったのでしょう。
再燃の発端になった、玄倉川さまが、水葉さまの「リベラル」に、
疑問を呈したこと(4月16-17日)や、もっと前にわたしが、
「解同」のエントリで、謝罪要求してないと言ったとき(4月13日)も、
「解釈」をする人たちは、ぜんぜん出て来なかったのでした。
MEDAMAさんは、「玄倉川さんや、たんぽぽが批判したから、
自分はコメントした」と言ってはいるけど、再燃の最初の時点では、
じつはまだ興味がなかったんだと思います。
「たんぽぽは、謝罪要求したと感じられた」とか、
「ぶいっちゃんは、謝罪要求されたとは言ってない」とか、
過去エントリを一生懸命「解釈」する人が出て来たのは、
玄倉川さまが、4月19日エントリを書いてからなんですよね...
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/90d7eb67f42721f0c34fbea8aa259509
ここではじめてあきらかになったのは、「『謝罪要求があった』は、
ぶいっちゃんと水葉さんの作った虚構」という事実です。
このときになってようやく、「ぶいっちゃんが、
『批判側に謝罪要求された』と言った」ことに対して、
「疑問」や「不満」が、出てきたことになります。
こんばんは。NewsOLです。
返答いただきましてありがとうございました。
私からの返答が思いのほか長くなりましたので(^^;)
私のブログに内容を掲載させていただきました。
⇒http://lovenews.exblog.jp/8524209/
TBも送らせて頂きますのでよろしくお願いいたします。
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>http://lovenews.exblog.jp/8524209/
のちほど、コメントしたいと思います。