核心はついていないように、わたしは、思ったのでした。
せっかく近くまで来たのに、核心のまわりをまわっているというか、
靴の裏から足を掻くというか、そんなもどかしさがあります。
黒猫亭さまは、「口汚く悪口がはばかりがなく、煽られ耐性が低い」ことと、
「政策や論を語らず、人間個人を指向する体質」を、
「政治批判ブログ」の「本質」と、考えているようなのです。
彼らの政治家に対する口の悪さには、わたしもへきえきすることがあるし、
政策の具体性があまりない人が多いのも、わたしも感じているところです。
(万年野党体質のうちだと思いますが。)
「水からの伝言」の騒動が収拾がつかなくなったのも、
黒猫亭さまは、このような「政治批判ブログ」の
「本質」によるものだとお考えのようです。
しかし、これらは表面的で「わかりやすい」特徴であって、
より本質的な体質は、べつにあると思います。
「水からの伝言」の騒動でも、罵詈雑言がひどくなくても、
引き延ばしに貢献する人もいらっしゃります。
「口が悪い」「人指向」で、理解しようとするせいか、
わたしには「?」と思われる分析も、いくつかあります。
たとえば、「安倍おろしキャンペーン」が盛り上がったのも、
黒猫亭さまは、「人を指向する言論体質」によるとしています。
わたしから見れば、これはじゅうぶんとは言えないです。
安倍批判の盛り上がりは、憲法改正や、スキャンダル、閣僚の失言など、
「政治批判ブログ」の人たちに、「わかりやすい」議題が多かったからであり、
さらには安倍政権が、彼らにとって脅威的だったからでしょう。
外部に大きな脅威があれば、「内輪」で結束が堅くなるのは、
ブログを書く人たちにかぎらない、一般的な集団の通性です。
また、「らんきーブログ」に、コメントをする人が多いのは、
政治批判ブログ化する前からで、大勢の中でちやほやされたいという、
ぶいっちゃんのパーソナリティによるものだと思います。
黒猫亭さまは、政治批判ブログ化してから、合目的的に、
派閥化したように思っていますが、順番は逆だと思います。
わたしに言わせれば、つぎの指摘が核心をついていると思います。
もちろん、かつさまの『遠方からの手紙』の、コメント欄ですよ。
(わたしがかいかぶられているのは、見なかったことにして。(笑))
http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200805010000/
細かい論拠がどうであれ、最初のたんぽぽさんの
批判に対する対応のでたらめさや、その後あっちこっちから出た
批判や反論を「自派」に対する一斉攻撃だかと勘違いして、
ただただ「居直り」と「身内固め」だけに走ったこと。
同じような馬鹿げた勘違いで、「〜〜を支持する」だの
「〜〜に連帯する」だの、中身のないスローガンを
ほんの一瞬ぶちあげただけで消えてしまった連中。
こういう姿を見れば、「自己愛」の強さ(過剰な自己評価と
内向きで庇い合いばかりの身内意識)という、たんぽぽさんの批判が
きわめて正当でありまっとうなものは分かりそうなものです。
これこそ、最初の騒動以来、次々と暴露されてきた
「政治批判」を掲げているブロガー諸氏が抱えている最大の問題であり、
「陰謀論」批判などを含めて、たんぽぽさんが一貫して
追求していることなのだと私は思っています。
(2008.05.02 13:35:54)
「陰謀論」に走るのも、「自分たちは権力筋から狙われる存在」という、
うぬぼれもありますから、「自己愛」の現われと言えるでしょう。
さらに「市民運動の閉鎖性と公共性についてのメモ」とか、
わたしのエントリ「騒動が再燃した(2)」をご覧になれば、
「口が悪い」ゆえんも、わかるのでは?と思います。
それにしても、こういう集団の心理は、わかりにくいのでしょうか?
(個人単位で行動するにせ科学信者や、「にせ科学批判批判者」の
メンタリティは、にせ科学批判の人たちは、よくわかるのだと思いますが。)
人間の心理より、不変の事実に関心を持つのが
「がち理系の真髄」だと言ってしまえば、それまでですが、
なにかたりないような気持ちに、わたしはなってしまいます。
騒動の初期(ぶいっちゃん氏がたんぽぽさんのコメント等を削除する前)から色々な人々の発言をトレースし自分のブログでもそれについてエントリーをあげたりしましたので私も騒動の当事者になるかもしれません。
たんぽぽさんが再燃エントリーを13まで延ばしてるのをうんざりした気分で見てる人もいるような気がしますが(笑)、実は私はもっとこのことを論ずべきではないかと思っている一人です。話は少々遠回りになりますがご勘弁を。
poohさん(ご存じかもしれませんね)のエントリーでリンクされていた茂木氏のクオリア理論に関する斉藤氏の文章ですが、
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2007-06-02-1
私が漠然と抱いていた茂木氏のクオリア理論(というより彼と彼の言論の信者達)に対する警戒感が言語化されていて非常に腑に落ちました。
最新の脳科学でさえ(あるいは脳科学だから?)ポピュリズムに容易に結びつく人々の「感情」は今のこの国が私にとってあまり住み心地のいい場所でなくなって来ているのと無関係ではないと考えています。そういう意味で水伝騒動は疑似科学だから問題なのではなく、安易なポピュリズムに飛びつく人々の「感情」こそが問題であり、そのことをもっと論じて行くべきだと思っているのです。
もっとも、poohさんも言及しておられた「有用なポピュリズム」とはあり得るのか?あり得るとしたらそれはどうやってコントロールされるべきか、というのも現在わたしの頭を悩ませている課題ではあるのですが。
SIVAさんのおっしゃるとおり、一連の出来事、自分を当事者と考えなければ、これほどおもしろい社会現象はない。
「誤った情報がどのように広がっていくか」ということを緻密なフィールドワークにより調査した「オルレアンのうさわ」という名著があるんですが、
(↓の紹介が詳しくて、わかりやすいと思います)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/la_rumeur_d'orl'eans.htm
ありふれたネット上の1エントリーから、さまざまな人々が、その先入観のもとに異なった「真実」をつくりあげていくプロセスは「オルレアンのうわさ」に匹敵するほどに、人間心理とネットという「社会」の深層をえぐり出すものになっている。
もちろん、数ヵ月間拡散し増幅しながら押し寄せてくる「誤り」にさらされつづける、たんぽぽさんのご心労は、想像するに余りあるわけですが・・・(本当に、いつもお疲れさま「です」。「でした」と言える日が早く来ること「も」、「本当に」私は祈っております)
わたしのブログにお越しくださって、まことにありがとうございます。
TBしてくださったエントリは、わたしも読んでいました。
(というか、わたしからもTBを送ってる。)
コメント欄で、ごあいさつも、しようかと思ったのですが、
このときは、長い議論で疲れていて、うかがえなかったんだと思います。
>poohさん(ご存じかもしれませんね)
はい、存じあげております。
にせ科学批判のかたの中では、最初に話題にしてくださったかたです。
(わたしのことは、あまり好意的でもなかったようだけど...)
http://taraxacum.seesaa.net/article/95538082.html
それはともかく、「水からの伝言」も、
ポピュリズムの問題としても、扱えるんですよね...
世の中が不安定になると、ストレスから手っ取り早く抜け出そうとして、
「わかりやすい」説明を求めて、ポピュリズムに走るんだけど...
「にせ科学」は、たいてい「わかりやすい」ですから、
「水からの伝言」のように、信じたい人が多いような既成道徳とむすびつくと、
大挙して信者が押し寄せたりもするのでしょう。
こちらにもコメントありがとうです。
そうそう、
「謝罪要求」は、まさしく「オルレアンのうわさ」のような、
「都市伝説」が広まるパターンなんですよね。
「幻の謝罪要求」は、そういう流言研究としても、扱えるんだけど...
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/90d7eb67f42721f0c34fbea8aa259509
その『オルレアンのうわさ』、残念ながら、本は絶版なんだけど...
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=23746
>たんぽぽさんのご心労は、想像するに余りあるわけですが・・・
わたしのこと、いつも心配してくださって、本当にありがとうです。
そうした観点からも、もっと考察する意義はあると、わたしも思います。
(だから、一部の「くだらない、関心ない」という人をよそに(笑)、
お話を続けているのもあるのだった...)
13エントリになって、うんざりしている人って、そういえば、
どこかにいたような気がするけど(笑)、アクセスが多いので、
興味のあるかたもたくさんいる、ということだと思います。
(わたしのブログに来られるくらいですから、
もとより好意的なかたが、多いんだとは思うけど。)
疑似科学も陰謀論も歴史修正主義もいずれも「耳に気持ちいい」ゆえに人々に受け入れられやすいという点が共通していますね。またいずれも「真実に目覚めた私とそれ以外の愚民」という選民思想に容易に結びつく危険があると考えてます。だからしつこくその問題点を考察することはくだらなくないと思うのですけどね。
ああ、いえいえ、TBの失念は、気になさらないでも結構ですよ。
>疑似科学も陰謀論も歴史修正主義も
とくに陰謀論は、ご指摘の「意識が高くなった」に加えて、
自分の不満をわかりやすいなにものかに、転嫁しますからね...
政治を語っている人たちは、なおさらおちいりやすいのかもしれないです。
こうもうしてはなんだけど、「政治批判ブログ」を、
やっている人たちって、直接解決したい政治課題があるのではなく、
「自分は政治を語れるんだ」とか、「自分は政治活動もやれるんだ」と
思いたいという、メタな動機のかたが、多いように思います。
(ようは、ポピュリズム的なんだけど...)
手っ取り早く、「意識が高くなった」気分になれる、
陰謀論になびきやすいのは、こうしたこともあるのかもしれないです。
ついでだけど、メタな動機で、政治を語りたがる人について、
こんなページを書いたことがあります。
(なにかの参考になれば、さいわいです。)
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/pseudo/planet.html