前にも少し触れましたが、「謝罪要求」がまぼろしとわかると、
「たんぽぽ(たち)は、謝罪要求したと感じられた」とか、
「ぶいっちゃんは、謝罪要求されたとは言ってない」とか、
過去エントリを一生懸命「解釈」する人が、現われたのでした。
玄倉川さまの「幻の謝罪要求」もそうですし、
わたしの「騒動が再燃した(4)」と「騒動が再燃した(7)」も、
そうした「解釈」する人たちが、コメント欄にわんさと押し寄せました。
「解釈」する人たちに言わせると、たとえば、ぶいっちゃんの
「無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても」は、
一般論であって、批判側のことを指しているのではないから、
「謝罪要求させられたとは言っていない」となるのだそうです。
しかし、1月11日エントリは、「水からの伝言」の議論のことです。
となれば当該箇所も、批判側から「謝れ」と要求されたと、
言っていると考えるのが自然でしょう。
ここだけ具体的でない一般論だと、特別扱いするほうが不自然です。
「解釈」する人たちの読みかたは、このように恣意的なものが多く、
「はじめに結論ありき」と言えると思います。
ところで、ぶいっちゃんの1月11日エントリを見ても、
水葉さんが、「謝罪の義務があった」と思って、
自分のブログを書いても、このときはなにも言われなかったのでした。
「ぶいっちゃんが、『批判側に謝罪要求された』と言った」ことに、
らんきーサイドの人たちも、ずっと疑問はなかったのでしょう。
それどころか、こうした認識は、広がるにまかされていたくらいでした。
玄倉川さまが、水葉さまの「リベラル」に、
疑問を呈したこと(4月16-4月17日)や、もっと前にわたしが、
「解同」のエントリで、謝罪要求してないと釈明したとき(4月13日)も、
「解釈」をする人たちは、ぜんぜん出て来なかったのでした。
「解釈」する人が現われたのは、「幻の謝罪要求」からです。
ここではじめてあきらかになったのは、「『謝罪要求があった』は、
ぶいっちゃんと水葉さんの作った虚構」という事実です。
このときになってようやく、「ぶいっちゃんが、
『批判側に謝罪要求された』と言った」ことに対して、
「疑問」や「不満」が、出てきたことになります。
「解釈」する人たちは、ぶいっちゃんや水葉さんが、
そういう「デマを作った人」だと、思いたくなくなったのでしょう。
それで、いままで「疑問」も「不満」もなかったことを、
きゅうに否定したくなって、やっきとなりだしたのだと思います。
コメント欄のBaru氏は、ぶいっちゃんの「謝罪要求」の解釈の議論は、
「枝葉末節ではない」と言っています。[2008年05月02日 05:21]
この人は、なんとしてでも、「批判側に謝罪要求されたとは、
ぶいっちゃんは言わなかった」ことにするのが、大事なのでしょう。
それで、「趣味の議論屋の議論」と批判されているのに、
Baru氏にとっては、議論の本筋になるのだと思います。
また、Light氏も、コメント欄で、「人格上の話までが、
繰り返し繰り返し、あちこちで言及され続ける」と、
書いているのでした。[2008年04月29日 23:33]
これはきっと、ぶいっちゃんや水葉さんが、デマを作った悪人だなんて、
もう批判しないでくれ、という「おたけび」なのだと思います。
Light氏は、「おたけび」だけでは、足りなかったようです。
ご自分のブログに、「たんぽぽさんが言及した「謝罪」という言葉は、
一体どこからきたのだろうか」などと、書いている(!)のです。
もちろん、ぶいっちゃんと、水葉さんが、そういうデマを
飛ばしたから出て来たのですが、それをあきらかにした「幻の謝罪要求」に、
Light氏もコメントしているのです。(2008-04-23 19:47:43)
いったいなにを見ていたの?と言いたくなりますが、
「修正主義者」というのは、こうやって、都合の悪い事実を
「なかった」ことにしていくのかと、すこしわかったように思います。
2008年05月10日
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「意見」は人それぞれでいいのです。それこそ「ぶいっちゃんはいい人だと思う」でも「たんぽぽさんはしつこい」でも「批判派は人情がない」でもいい。ただ、その意見を多くの人に理解してもらうにははっきりした根拠がいります。はっきりした根拠とは事実と事実に基づいた論理です。
ところが最近の「反論」は「意見」とそれを理解してほしいという「願望」は強いのですが、客観的な根拠を示してくれません。それどころか「論拠はどうなっているのか」という問いに対して言を左右にしてごまかすばかりです。これでは疲れます。
「騒動」の経過について当面の叩き台は「幻の謝罪要求」だと思いますが、反論は私の組み立てた「事実」を踏まえたうえで語ってほしい。情報や解釈に疑問があるなら指摘してほしいのです。それで初めて実のある話ができます。
「いったいなにを見ていたの?と言いたくなりますが、
「修正主義者」というのは、こうやって、都合の悪い事実を
「なかった」ことにしていくのかと、すこしわかったように思います。」
大いに同感です。
本当に「対話」したいなら相手に賽の河原の石積みのような徒労感を強いるのはやめてほしいものです。
たんぽぽさん こんにちは
>>ここから先は一般論ですが、「ものは言い様」と言います。例え、私が100正しくとも、子供に頭ごなしに言っても素直に聞かないこともある。無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても反発心だけが残るかもしれません。
子供には子供の理屈があったかもしれませんし、何かを庇ったのかもしれない。そこが「伝え方」の難しさでしょう。<<http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-771.html
このぷいっちゃんの発言の受け取り方だけはたんぽぽさんに同意出来ません。
確かにこの一文は水伝騒動の総括文の一部ではありますが、
・以下は一般論であるとわざわざ断っていること、そして
・「完全に間違っている相手を諭す場合でも、頭ごなしの批判はよくない」という批判の仕方を問題にした趣旨であるらしいこと、つまり(無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても)の部分は無理強いの一例として挙げただけとも考えられること
から、必ずしもこれを「批判側から「謝れ」と要求されたと言っていると考えるのが自然」とまでは断定出来ないように思います。
たんぽぽさんのように受け取る人が出る余地もなくはないと思いますが「頭ごなしの批判はよくないと言いたいだけなのだな」と受け取る余地が十分あるでしょう。
もちろん、そうだとしてもぷいっちゃんのこの愚痴をもっともだとは思いません。たんぽぽさんの批判方法やその後の対応に問題があるとは思いませんので。ぷいっちゃんのこの愚痴は負け惜しみという他ありません。
しかし、このぷいっちゃんの一文をたんぽぽさん主張のように断言するのは、やや「戦術的」な印象を受けます。
訂正させてください。
誤)つまり(無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても)の部分は無理強いの一例として挙げただけとも考えられること
正)つまり(無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても)の部分は頭ごなしの一例として挙げただけとも考えられること
>たんぽぽさんもお疲れのことと思います。
>いや、もしかしたら面白がっているのかな?
ご心配、ありがとうです。
それは、両方ですね。(笑)
おもしろいけど、疲れてもきている、というところです。
こちらでも、話題になっているけれど、
修正主義者の手口というか、メンタリティって、
たぶんああなんだろうな、という気がしています。
http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080509#c1210428895
言わずもがなのことだけど、
彼らは、わたしが一方的に、悪いことにしたいのでしょうね。
「はじめに結論ありき」なので、都合の悪い事実は
無視や軽視をするから、筋が通らなくなるんだけど。
そして、「たんぽぽの批判のしかたに問題がある」ことを、
「立証」することしか関心がないので、「対案」は出したがらないし、
ましてや、らんきーたちの態度は、絶対に問題にしないのでしょう。
ご指摘のことですが、ぶいっちゃんは、実際に起きたことでも、
一般論のかたちで書くのが、つねとなっています。
したがって、一般論であっても、具体的な事件を
指していると考えないとしたら、そのほうが不自然です。
せいぜい「一般論であるが、『水からの伝言』でも
当てはまること」を言っていると、考えるのが妥当でしょう。
また、当該エントリを見て、水葉さんが、「謝罪の義務」とコメントし、
そのまま「批判側から謝罪要求があった」という認識のもと、
ご自分のウェブログで、記事を書いていました。
これは、ぶいっちゃん側の人にとっても、なんの問題もなく、
「ぶいっちゃんは、『批判側に謝罪要求された』と言った」と、
読めるものであることを、しめしています。
同様に、ぶいっちゃんの最新エントリー
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-821.html
も『真摯に反省の弁を示した』ようにも読めるようにしながら、一方で『具体的な点については、何一つ語っていない』どちらとも読める。
結局のところ「ぶいっちゃんがこれだけ謝っているのに、まだやめないのですか」という新たな『たんぽぽさんバッシングの装置』にしかならないわけですが、このことを彼がわかっててやっているなら『相当に悪質』、わかってないなら『一連の出来事から何も学んでいない』ということになります。
少なくとも「批判派」でぶいっちゃんさんに謝ってほしいと思っている人は一人もいないと思います。
> このことを彼がわかっててやっているなら『相当に悪質』、わかってないなら『一連の出来事から何も学んでいない』ということになります。
さすがに意識的にはやってないでしょうけど、「一連の出来事から何も学んでいない」とはいえるでしょうね。
> 「ぶいっちゃんがこれだけ謝っているのに、まだやめないのですか」
という反応が出てくることは、直ちに予想されるんですが、そこを咎めたら、「そんなつもりで書いたんじゃない、何でも曲解して悪意に捉える人たちだ」という反応を示して、結局対話にならないんだろうと思います。
一般論ですが、ある問題について批判する論議がある際に、当事者が、とにかく謝ってしまう、そうすると「謝っているのに、まだやめないのですか」という反応が出てきて、論議を妨げるのは困ったものです。
悪意に捉えてるんじゃなくて、一般論です。
もちろん、ネタで、真面目な提案じゃないです。念のため。(某所で、水に「ぶいっちゃん」と言ったらどんな結晶になるというネタが通じなかったので)
コメントありがとうございます。
1月11日エントリのくだんのところは、
「ぶいっちゃんは『批判側から謝罪要求された』と言った」と、
水葉さんが、読んでいますからね...
これがある以上、「『謝罪要求された』とは読めない」とは、
言えないと、わたしは思いますよ。
そんなに、「『謝罪要求された』と言ったのでない」というなら、
もっと前、水葉さんがご自分のブログに、「水からの伝言」のことを
書いているときに、「あなた、誤読してますよ」と、
教えてあげればよかったんだと思います。
そうすれば、「連合赤軍」発言もなく、
騒動の再燃もなかったかもしれないですからね...
>http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-821.html
このエントリのあと、上がったことから察するに、
まだ自分が批判されているので、いたたまれなくなって、
またみんなから、慰撫してほしくなったんじゃないかな...?
(「ぶいっちゃんがこれだけ謝っているのに、まだやめないのですか」も、
あるいは、期待しているのかもしれないけど。)