「民法改正の周辺知識」に、「ガチ理系の真髄には...」を加える。
2008年05月30日
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けっこうこういう「理系」的鑑賞もしてたりします。
ていうかドラマの場合(TVでも映画でも)ストーリー展開とか登場人物の造形とか自体はアホくさくて見てられない映像のほうが多いような気がする。
ほんとは科学ドキュメンタリー(感傷的ナレーション抜き)が好きなんですが、最近めったにないんですよね・・・
「ガチ理系」って、ご紹介のページを見るに思いこみが強くて融通の利かない人達みたいですね。私と交流している人達にはあまりいないタイプ(笑
何というか・・・私の中の「たんぽぽさん像」を裏切る意外な記事内容で、何となく落ち着かないです。(不快に思われたらすみません。決して悪い意味ではありませんので・・・)
私のダンナは、文系のくせに「ガチ理系的」なコメントをよくするので、「情緒に浸っていたい」私とよくぶつかります。(笑)こういう言い方をすべきではないかもしれませんが、やはり男性にはそういう物言いを好む人が多いような気が・・・
最近はやっと「こういうヒトだからしょうがないか」と“達観”できるようになり、それはそれで愛すべき不器用さだと思えることもありますが、まだまだ「日々精進」という感じです。たんぽぽさんの「揺るがなさ」がある意味うらやましいときもあります。
理系の人の中でも「ガチ理系脳」の人なんて実際にはそんなにいませんし、文系の人の中で「共感派」みたいな考え方に走る人はもっと少ないだろうと想像しています。後者は、さらに学生時代などに「運動」にのめりこんだ思い込みの激しい人たちと、若い頃にあまり思考の訓練をしてこなかったイージーな人たちという、互いにかけ離れた人たちの野合であって、「素朴な庶民の感覚」といえるものではおよそないんじゃないかと思っています。
あ、そういうのを「ガチ理系」て言うのか。
という意味では現在我々が使っている単位系もまた、人間的なものである。
なんてことを言うと、ガチ理系と言われてしまうんだろうか(笑)
「理系」=「頭良くてカッコイイ」というコンプレックスにより「理系」を装っちゃうのです。
そんでそーゆー人はなんちゃってなのですぐに「女はすぐ情に流される」とか理系じゃない台詞も平気で吐きます(笑)
「いやー俺は理系だから」とか言わないもん。
ホントの理系は。
理系と一言に言っても多様な分野にまたがって、他の分野に関しては殆ど知らないことを知っているから。
このセリフをよく言う「理系」の男性を私は知っています。
でもって、その人ってすごーく感情的です。
どっかでさる女性のことを、「あんなに感情的になるなんて、男だろうとばかり思っていた」と書いたことがありますが、そのとき私の念頭にあった人物です。つまり、すごーく感情的な理系の男。そんなの、掃いて捨てるほどいます。
うちゃさんのコメントに触発されて、ちょっと考えてみました。
たとえば魚に人間と同じ知能があったとして、魚に向かって
”「1kgの石」と「1kgの木」はどちらも同質量”
と言っても理解してもらうのは難しいだろうなと思いいます。
(意外な反響におどろいています。)
north-poleさま、こんにちは。
すばやいコメント、どうもありがとうございます。
>けっこうこういう「理系」的鑑賞もしてたりします。
「あらあら...」という感じですね。(苦笑)
(気に障っちゃったかな...?
もしそうでしたら、ごめんなさいね...)
>ストーリー展開とか登場人物の造形とか自体はアホくさくて見てられない
しっかり「がち理系」的鑑賞ですね、はい。(苦笑)
>「泣いても喚いても1メートルは1メートル」って、
>けっこういいと思うんだけどなあ。
ああ、いやいや、だめとか悪いとか言うんじゃなく、
わたしが惹かれない、というだけですので、
そこはどうかご心配なさらないでくださいね...
碧猫さま、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
このページ、じつは前に書きかけて、放置してあったのでした。
「人に関心を持つからイカン」と言われ続けていたところへ、
ほかでもない、かつさまのブログで、「がち理系」というのを見つけたので、
「残りを書いて完成させてやろう」と思ったのでした。
わたしも、引用したページにあるようなタイプって、
ちっとも見かけないので、ぴんと来なかったんだけどね...
(そうじゃなくて、気がつかなかっただけかもしれないけど。)
でも、酒井冬雪の本にも、複数人(4人のうち3人)で出てくるし、
「じつは結構たくさんいるのか?」と、思いはじめてもいたりするんだけど。
>こんばんは。その節は失礼いたしました。
コメントくださって、ありがとうです。
ごていねいに、ありがとうございます。
>何となく落ち着かないです。
>(不快に思われたらすみません。決して悪い意味ではありませんので・・・)
ああ、いえいえ、気を悪くしてはいないので、ご安心くださいね。
(むしろ、そういう風に見える(見えた)んだと、ちょっとした発見の気分です。)
>「たんぽぽさん像」を裏切る意外な記事内容で
ページにも書いたことだけど、ウェブをはじめたころのわたしは、
恋愛相談をやっていて、もともとの「本籍」はそっちだったりします。
いわゆる「理系っぽい」ことを、ウェブでやりだしたのは、
だいぶたってからでした。
最近になって、わたしのことを知ったかたは、
「たんぽぽは、恋愛相談に興味がある」なんて言うと、
とっても違和感を持ったりするのかな...?
(もっと前から、わたしをご存知のかたでしたら、
いかにもたんぽぽが言いそうだと、思うんだと思うけどね...)
>やはり男性にはそういう物言いを好む人が多いような気が
酒井冬雪の本に出てくる、映画評をやっていた男性は、
4人のうち3人までが、「がち理系」的評論をしていました。
↑のコメントで、そういうタイプを見かけないと、わたしは言ったけど、
じつは案外たくさんいるのかなと、思いはじめたりもしています。
>最近はやっと「こういうヒトだからしょうがないか」
こういうのって、なかなか転換が効かないみたいで、
きゅうに「人間に関心を持つようになれ」と言っても、
無理なんだろうなと思います。
夫氏のことは、「受け入れるべき個性」として、見られるようになったら、
それはそれで、いいんじゃないかと思いますよ。
コメント、ありがとうございます。
ああ、いえいえ、撮影技術に関心を持つのが、
悪いというんじゃないんだけどね...
(というか、ある程度つっこんで鑑賞したかったら、
そちらも目を向ける必要はあるんだと思います。)
ただ、異様にそっちばっかりに走っちゃうと
わたしは、偏重を感じて惹かれなくなる、ということです、はい。
kojitakenさま、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
>「ガチ理系脳」と「共感派」って両極端だよなあ、
>奇しくも今回の「遅れてきた水伝騒動」でその両者が登場したわけですが。
貴ブログにも書いたけれど、「共感派」からは、
どこでも通用する、普遍的な正義を押し付ける「論理派」と見られたし、
「がち理系」のほうからは、そこでしか通用しない正しさしか求めない
「私闘派」と、わたし(たち)は、言われたのでした。
(こういうふうに、正反対のことを言われると、
それぞれの人たちの立ち位置がよくわかりますね。)
>理系の人の中でも「ガチ理系脳」の人なんて実際にはそんなにいませんし
わたしも、理系出身のかたとの交流は結構あるけど、
「がち理系」的なかた、めったに見かけなかったりします。
それで、わたしが知らないだけで、じつは多いのかと戸惑ってもいたりします。
(むしろ、出身は文系だけど、ちょっと自分をかしこく見せよう、
なんて思っているかたに、「がち理系」的な人がいたりするのかも...)
>「あんなに感情的になるなんて、男だろうとばかり思っていた」
>と書いたことがありますが、そのとき私の念頭にあった人物です。
>つまり、すごーく感情的な理系の男。
はじめに見たときは、わたしも「?」と思いましたよ。
事情を聞いて、なっとくしたけれど。
(「女は感情的」というのが、固定観念にすぎないのか...
それとも、「男は感情をあらわにすべきでない」という観念があるから、
いざというとき、暴発しちゃうのか...)
コメント、ありがとうございます。
「異星人相手に、長さが何メートルなんて言っても、わからない、
水素原子の半径の何億倍とか、そういう言いかたをしないと」
...ということを言ったのは、リチャード・ファインマンだけど。
(これは、単位系というのは、しょせん人間本位に作られている、
ということへの喚起だと思います。)
ファインマンが言うと、「がち理系」という雰囲気がしないんだけど、
なぜなんでしょうか...?(本職の物理学者なのに(だから?)。)
まんちかんさま、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
残念ながら、「箔つけ」で、「理系っぽさ」を、
かもしだそうとする人も、すくなからずいるようですね。
「リクツっぽいことを言うと、賢そうに見える」という、
固定観念がやっぱりあるのでしょうね...
このあたりが、うんちくでかしこさをアピールしたがるという、
酒井冬雪の本に出てくる、映画評論の男性のような
タイプも出てくるゆえんなんだろうと思います。
書を守るものさま、はじめまして。
わたしのブログにお越しくださって、ありがとうです。
「2日とひとつがいの雉が、どちらも『2』という数字で表せると、
人類が気がつくまでには、とほうもなく長い時間がかかっただろう」
と言う、バートランド・ラッセルのことばを、思い出しました。
このような抽象思考は、人間にとっても、むずかしいのかもしれないです。
> どこでも通用する、普遍的な正義を押し付ける「論理派」と見られたし、
> 「がち理系」のほうからは、そこでしか通用しない正しさしか求めない
> 「私闘派」と、わたし(たち)は、言われたのでした。
なるほど。面白いまとめですね。
これからは、3派を「共感派」、「私闘論理派」、「公論派(またはガチ理系派)」とでも名づけましょうかねえ。
他者あるいは敵に対しては「がち理系」
というダブスタはフツーに蔓延しているにゃんね
このダブスタを自覚しているのが「私闘論理派」
自覚できてにゃーのが「私闘批判派」
>ストーリー展開とか登場人物の造形とか自体はアホくさくて見てられない
のは、出来が悪いからです。それで「感動した!」とか言われると、「え〜〜?」って思うし。
出来のいいフィクションは大好きです。
あと、やっぱりここ(リンク先)に出てくるような「理系」氏は実はけっこう「人間」見てるっていうか、むしろ「人間」怖いと思ってるんじゃないかな〜とか。私もそういう傾向なきにしもあらずなんで。
行間読みすぎかな?(笑)
とってもおもしろいでしょ?
「おなじ人(もの)でも、立場によって違って見えるものです」という、
優等生のお答えも、このくらい際立ってると、失笑ものですね。
地下に眠るMさま、いらっしゃいませ。
わたしのブログにお越しくださって、ありがとうございます。
たぶん、はじめまして、ですね。
でも、おっしゃることの意味、わからないです。(泣)
わたし(たち)が、ある人たちから「論理派」と言われ、
べつのある人たちから「私闘派」と言われた、ということです、はい。
つまり、そういう人同士だと理解しやすく、そうでないとなかなか理解しにくいというのは、当たり前のことであって、だからといって仲間内でしか通用しないしゃべり方をしているとか、仲間内しか意識していないという非難はちょっと的外れではないのか。
ひょっとして、地下に眠るMさんの仰りたいことはそういうことでしょうか。
つまり、あの方々は自分たちの言葉は普遍的なものだと思っているけど、本当はやっぱり仲間内の言葉であって、その外にはなかなか通用しにくいということを自覚していないということ?
黒猫亭さんは「がち理系」って感じはあまりしませんね。
「がち理系」の語法を模倣しているようには見えますが。
で、「がち理系」はどこまで「がち理系」なのか。
地下に眠るMさんは、私が「私闘用語派」、「公論派(ガチ理系派)」と名づけた両派を、3派の外のメタな視点から皮肉って書いたものかな。私にはそう読めました。
今回の場合、「感動するポイントおよびバックボーンが科学技術系」な人が「ガチ理系」なのだと考えます。
映画を観て撮影技術に感動する人もいるわけです。ところがこの感動は、撮影技術に関する知識がバックボーンに無いと感じられないのです、多分。
そのバックボーンが無くても感じることはあるでしょうけれど、その感動は単に「凄い」というだけの薄っぺらなものでしょう。
一方、映画のストーリや登場人物に感動するためには、監督やシナリオライタと似た感性・感情がバックボーンに必要なのでしょう。
同じ人間だから感性・感情は似通ってる…と言えるほど、人間は単純では無いのでしょう。
両方ともアタリってことで。
実は僕は黒猫亭のブログには出入り禁止措置をとられていますにゃ。出入り禁止処置を受けたのはネットで遊んで長いけどはじめて。詳しくは
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_74b5.html
あと、
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-03-12
のコメント欄でもちょっとかかわりましたにゃ。
まあ、どちらも不毛なやりとりにゃんがね。
黒猫亭については、他者の心情を勝手に忖度して自分に都合の良い言論として垂れ流す論者であると確定しているので、今回の話は正直なところせせら笑いながら眺めていましたにゃ。
まあ、「いっていることのどこがおかしいのか」と聞いたのに、「あなたにどう思われてもかまわないから」という理由で答えない、という目にあったのは初めてだったにゃ。
疑似科学批判論壇、とかいうものは、別に理性的でも公正でもなんでもにゃーと僕は知っているんですにゃ。政治ブログ論壇と同じことにゃんがね。
>http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_74b5.html
>http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-03-12
どっちも、以前ちらっと読みまして、なんか「トラブル」になったという話は知っておりましたにゃ。
もっとも、黒猫亭氏の話は例によって例の如くの長広舌なので、半分ぐらいしか読んでおりませんでしたにゃ。
しかし、神による無謬の言説でもない限り、あらゆる言説には批判がありうるし、また成立しうるというのはあまりに当然なことだと思いますにゃ。なので、黒猫亭氏の言うことははじめっから詭弁なのか、せいぜい相手を矮小化したか、矮小な相手のみをたたいた「わら人形」たたきにしかすぎないと思いますにゃ。
うん。黒猫亭の冗長なあれを第三者がまともに読む気になれにゃーよね。僕もあれ以来読んでにゃーしな。
まあ、こちらからの指摘にはまともに答えられにゃー負け犬を殴ってもしかたにゃーとも思っていたけど、よもや、あの黒猫亭のクチから「書かれてないことを読むな」みたいな話がでてきたので顎の骨がはずれて足におちて打撲しちゃいましたにゃ。
「書かれてないことを読むな」との意見をおもちの方が、すみからすみまできっちり読む気がしないほどの長文コメントを書くのって、戦術的に正しい様な気がしてしまいました。
…そう言う話じゃなくて?
ウケました :-) (←死語)
>誤解されると困るのですが(ていうか誰もしないかもしれんが)
そこは、微妙でした。
わたしのレスのせいで、誤解したかたもいそうです。
もしそうでしたら、ごめんなさいね...
>ここ(リンク先)に出てくるような「理系」氏は
わたしにもよくわからないけれど、文系の女性と、
そういうお話をする程度には、人間に興味があるのかもしれないです。
http://marineko.moo.jp/rikei.htm
かつさま
解説、ありがとうございます。
ああ、ということは、地下に眠るMさまの、最初の2行は、
「だれしも『身内』どうしの会話は、わかりやすいけれど、
『よそもの』との会話はわかりにくい」ということになるかな...?
そして、それをわきまえているのが、「私闘論理派」で、
わかっていないのが、「私闘批判派」ということなのかな...?
(「私闘批判派」は、「私闘」を「批判」する「派」という意味で、
黒猫亭さまのことを指している...?)
>「がち理系」の語法を模倣しているようには見えますが。
ページ後半の、酒井冬雪氏の本に出てくるほうは、
箔付けで「理系」っぽく見せようとしている人たちと思うけど、
黒猫亭氏は、むしろこっちのタイプかもしれないですね。
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/surround/gachi.html
ページ前半の、まりねこ文芸館で対話したかたは、
箔付けではなく、純粋に理系的なかたなのでしょう...
この純粋なタイプと、「理系」っぽく見せようというタイプとは、
区別したほうがいいのかもしれないです。
temaさま
コメント、どうもありがとうございます。
>「元ガチ理系」を自認する
そうか、そうだったのか...
(上のコメントで、2タイプを区別したけれど、
もちろん「箔付けではなく純粋」のほうであろうと思います。)
>今回の場合、「感動するポイントおよびバックボーンが科学技術系」な人が
解説、ありがとうございます。
ようするに、興味のあるところに反応する、という点では、
がち理系も文系もどうも違わない、ということのようですね。
>監督やシナリオライタと似た感性・感情がバックボーンに必要なのでしょう。
一般に女の人は、他人の気持ちや考えを察するよう、
小さいころから育てられるので、理解できる「他人の感性・感情」が、
平均的な男の人より、幅広いのではないかと思います。
(映画の観かたの違いも、こんなところにゆえんがあるのかも。)
コメント、ありがとうございます。
>両方ともアタリってことで。
とってもむずかしい謎掛けだったです、はい。
>実は僕は黒猫亭のブログには出入り禁止措置をとられていますにゃ。
猫どうしで格闘してたのね。(笑)
>出入り禁止処置を受けたのはネットで遊んで長いけどはじめて。
意外〜。(「はじめて」が。)
>他者の心情を勝手に忖度して自分に都合の良い言論として垂れ流す
それは、わたしも、しっかりやられるところでしたよ。
(なんとか回避した...と思うけど。)
>疑似科学批判論壇、とかいうものは、
最初は、わたしより、ずっとすごいかたたちなんだろうって、
引け目を感じていたんだけど...
今度のことで、思ったほどたいしたことないのかも?と、
認識があらたまりつつあります。
>戦術的に正しい様な気がしてしまいました。
そうか、そうだったのか...(笑)
アンタが言うな。アンタが
りゆうはよくわかりません。
…キャー、ごめんなさいごめんなさい。
地下に眠るMさまのことだから、
アクセス禁止をもらうなんて、何度もあると思ったんですー。
>@がち理系原理主義者
きゃーーー。
碧猫さま
>キャー、ごめんなさいごめんなさい。
ほんと、げんりしゅぎしゃって、こわいですよねえー。(違?)
下手に「がち理系」の模倣なんかせずに、自分の得意な行き方を活かせばよかったのに。
結果的に彼は、「看板は『がち理系』、実質は『共感派』」という役割を演じて、議論を混乱させただけに終わってしまったように思います。
自覚せざる「トリックスター」ってとこかな。
なるほどねえ...
わたしは、リンク先はまだ見てないんだけど、
(ご他聞にもれず、わたしも、あのどえらい長文がしんどいので)
やっぱり、そうでしたのね。
でも、単に「文系」というだけでは、
「がち理系」的でないとは、言えないんでしょうれど...
(dlitさんは、言語学者だから、文系になるけど、
ほかのかたと同じくらいには、論客として、
「がち理系」的なんじゃないかな...? たぶん、だけど...)
>「看板は『がち理系』、実質は『共感派』」
まったくもって、そうでしたね。
黒猫亭さまが、首を突っ込まなければ、
ここまでのさわぎには、ならなかったかもしれないです。
(でも黒猫亭さまを、積極的に批判したかたは、
にせ科学批判の論壇の中には、いなかったですからね...
その程度には、ほかのかたたちにも、責任のあることだと思うけど...)
ほかのかたと同じくらいには、論客として、
「がち理系」的なんじゃないかな...? たぶん、だけど...)
言語学者のように、文系で論理を操る人は、それこそ、フツーの理系学部出身者の比ではない「がち理系」でしょうね。たとえば「フツーの」なんてアバウトな語法は用いないでしょう。
で、アバウトな意味で黒猫亭さんは「フツーの文系」って「印象」を受けるワケです。
それが「がち理系」論壇で歓迎されるのがマカ不思議なんですよね。
言語学は、いわば「ことばの科学」ですからね...
でも、ご本人のウェブログ見たら、仕様で歯切れが
悪い言いかたをする、なんて書いてありますよ。
(といっても、用心深さゆえに断定を避ける、ということで、
アバウトとは違うんでしょうけれど。)